翻訳と辞書
Words near each other
・ 三菱第1号館
・ 三菱第21号館
・ 三菱第22号館
・ 三菱第2号館
・ 三菱第3号館
・ 三菱第一三号館
・ 三菱第一二号館
・ 三菱第一号館
・ 三菱第三号館
・ 三菱第二一号館
三菱第二二号館
・ 三菱第二十一号館
・ 三菱第二十二号館
・ 三菱第二号館
・ 三菱第十三号館
・ 三菱第十二号館
・ 三菱経済研究所付属三菱史料館
・ 三菱総合研究所
・ 三菱総研
・ 三菱総研DCS


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

三菱第二二号館 : ミニ英和和英辞書
三菱第二二号館[みつびし]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [み]
  1. (num) three 
三菱 : [みつびし]
 (n) Mitsubishi (company)
: [だい]
 (n,pref) ordinal
第二 : [だいに]
 (n) second
: [に]
  1. (num) two 
二号 : [にごう]
 【名詞】 1. number two 2. concubine 
: [ごう]
  1. (n,n-suf) (1) number 2. issue 3. (2) sobriquet 4. pen-name 
号館 : [ごうかん]
 (n) -building number
: [やかた, かん, たて, たち]
 【名詞】 1. (1) mansion 2. small castle 3. (2) boat cabin

三菱第二二号館 ( リダイレクト:三菱本館 ) : ウィキペディア日本語版
三菱本館[みつびしほんかん]

三菱本館(みつびしほんかん)は、かつて日本東京都千代田区丸の内にあった建築物である。別称は第22号館三菱第22号館三菱22号館三菱仮本社三菱本社本館など。ここでは同建物の増築である三菱本館新館みつびしほんかんしんかん)についても記す。
== 沿革 ==
明治時代に建築した第1号館(三菱一号館)を嚆矢として、丸の内地区において多数の地所・建物を建築・保有していたかつての三菱合資会社が、その本社とすべく東京府東京市麹町区八重洲町一丁目1番地(後の千代田区丸ノ内2-4)の地所における建築を企て、その設計は懸賞募集をもって一般の建築家等より図案を募らんとした〔『丸の内百年のあゆみ-三菱地所社史』 上巻195-199頁〕。
会社は上述の趣旨より、1911年(明治44年)10月一般の新聞ならびに建築雑誌等において懸賞募集を広告し、1912年(明治45年)3月31日の期限までに応募者54人にして58案の提出があり、審査員は専門家側片山東熊を長となし曽禰達蔵ジョサイア・コンドル、会社側岩崎小彌太ほか3人にして合計7人による審査の結果、木子幸三郎を筆頭に以下2等池田稔、3等内田祥三の順で選出された〔。
然るにその案は会社の事情により体現されることなく三菱合資会社地所課による外観・規模とも異にする設計がなされたうえ、1915年(大正4年)11月13日より工事に着手されて1918年(大正7年)4月完成に至り、第21号館に続くものとして第22号館、三菱本館、三菱仮本社などと呼称された〔。同年10月25日よりは増築に着手され、1921年(大正10年)8月30日その全工程の成されるところとなって、これは三菱本社新館などと呼称された〔。
1937年(昭和12年)には別館が建設された。
第二次世界大戦で日本が敗戦した後の1946年(昭和21年)1月15日よりは、連合国軍最高司令官総司令部が接収し、1956年(昭和31年)1月21日解くまで女子軍人宿舎ならびに郵便部隊用と成した〔『丸の内百年のあゆみ-三菱地所社史』 上巻494頁、資料・年表・索引388-402頁〕。
接収解除後、会社はこれをふたたび三菱系企業の用に供したが、より規模大なる貸事務所の建築を図り、1971年(昭和46年)よりこれの取り壊しに着手し、跡地において三菱ビルヂングを1973年(昭和48年)完成させた〔『丸の内百年のあゆみ-三菱地所社史』 下巻208-211頁〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「三菱本館」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.