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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 三 : [み] 1. (num) three ・ 藩 : [はん] 1. (n,n-suf) fiefdom 2. domain (precursor to current prefectures)
三藩の乱(さんぱんのらん)は、清朝第4代康熙帝の1673年に起こった漢人武将による反乱〔。雲南の呉三桂、広東の尚之信、福建の耿精忠が反乱を起こした〔。 三藩は明滅亡後に南へ亡命した諸政権(南明)を指す事もあり、その場合は南明を前三藩、呉三桂たちを後三藩として区別する〔。 == 事前の経緯 == 呉三桂、尚可喜、耿精忠の祖父耿仲明は元々明の武将であり、明が李自成により滅亡した時に清軍に協力した功績でそれぞれの藩を領有する事を認められていた〔〔岸本、宮嶋 (1998)、pp.239-240.〕。これらの藩王は藩内の徴兵権・徴税権・官吏任用権などを持っており清の中の半独立国家となっていた〔〔岸本、宮嶋 (1998)、p.240〕。藩の存在を時の皇帝康熙帝は疎ましく思っており、中央集権体制を確立するために藩を廃止したいと願っていた〔細谷 (1999)、pp.338-339.〕。 1673年(康熙十二年)、尚可喜が自らの引退と尚之信への継承を願い出た〔細谷 (1999)、p.340〕。また、他の2人は政府の狙いを探るために自分達の藩の廃止を願い出た〔〔。朝廷では藩の存廃について意見が対立したが、康熙帝は廃止を決し〔、清朝は藩自体を廃止すると尚可喜に返答した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三藩の乱」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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