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三角 寛(みすみ かん、みすみ ひろし、1903年(明治36年)7月2日 - 1971年(昭和46年)11月8日)は、小説家、山窩(サンカ)作家、映画館経営者。本名は三浦守。僧名は釈法幢。 == 略歴 == 大分県直入郡馬籠(現在は竹田市に含まれる)に農家の4人姉弟の末子として生まれる。幼少期に父親と死別し、10歳で豊後大野市大野町田中の真宗系の最乗寺に預けられる。1922年春、19歳で地元から出奔。 1926年(大正15年)3月、朝日新聞社に入社し、サツ回り担当(取材記者)となる。説教強盗の報道で話題となる〔〕。このとき、取材先の刑事から「犯人は足が速いからサンカかもしれない」という言葉を聞き、サンカに興味を持つ〔礫川全次著「サンカと説教強盗 闇と漂白の民俗史」批評社 (1994/12)〕〔三浦秀和、ていちんとうりょう、ていちんとう、2012年10月28日〕。永井龍男の勧めで小説を書き始め、『婦人サロン』に「昭和毒婦伝」を連載し文壇にデビュー。毒婦伝でサンカを題材にしはじめる〔荒俣宏、Bookasahi.com, 2011年11月13日 〕。山窩小説三部作と言われる『怪奇の山窩』『情炎の山窩』『純情の山窩』を発表し、流行作家の道を歩む。 また1942年(昭和17年)に皇国薬草研究所を創立して所長に就き、サンカに伝わる薬草を軍に売る。戦後は娯楽が儲かると判断して映写機を手に入れ、吉川英治、徳川夢声、井伏鱒二らを株主とする映画館「人世坐」「文芸坐」の経営にあたる。1962年(昭和37年)に学位論文「山窩族の社会の研究」で東洋大学から文学博士の学位を取得する〔『源泉の思考: 谷川健一対談集』冨山房インターナショナル, 2008 〕。晩年には埼玉県の桂木寺の住職を務めた。 『三角寛全集』全35巻・別巻1巻を母念寺出版より刊行中に死去し、未完に終わっている。 現代書館から『三角寛サンカ選集』全7巻が刊行されている。 朝日新聞入社以前の履歴にはさまざまな疑問が呈されている。当人は、日本大学法科卒業と自称していた〔筒井功『サンカの起源』p.69。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三角寛」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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