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軍統合情報局(ぐんとうごうじょうほうきょく、)は、パキスタンで最大の情報機関(諜報機関)の名称である。短く Inter-Services Intelligence とも呼ばれ、略称の ISI が内外で広く通用している。アメリカの中央情報局(CIA)や、イギリスの秘密情報部(SIS、旧 MI6)に相当する機関である。 == 歴史 == 1947年、インド・パキスタン分離独立と第一次印パ戦争の年に、イギリス領インド帝国の情報部を引き継ぎ、情報局()が創設された。他にパキスタン軍内部に設けられたパキスタン軍事情報部()があった。しかし第一次印パ戦争で果々しい成果を上げることができず、翌1948年に、パキスタン陸軍・海軍・空軍の情報機関を総合して、ISIが成立した。 1958年にアイユーブ・カーンがパキスタンの大統領になると、ISIはパキスタン人民党やパキスタン共産党など野党勢力の監視などにも活動領域を広げ、軍の力を増大させる役割を演じた。第二次印パ戦争の敗北後、ISIは再編され、さらに1969年には規模が拡大された。特に分離独立の動きを強めていた東パキスタンやバローチスターン州で盛んに活動するようになった。 1970年代にはパキスタン人民党のズルフィカール・アリー・ブットー首相の下で、ISIは重要性を失った。1971年にはバングラデシュ独立戦争が第三次印パ戦争に発展、パキスタンはバングラデシュを失う大敗を喫した。これが引き金となって1977年、ムハンマド・ジア=ウル=ハク将軍によるクーデターが起き、ブットーは失脚・処刑される。ハクは軍事政権の大統領となり、ISIはハク政権をサポートした。 その後、1979年にソ連軍のアフガニスタン侵攻が起きると、ISIはCIAと組み、ハク大統領による反共主義政策もあってソ連や共産主義勢力と闘うムジャーヒディーンに、チャールズ・ウィルソンらによる武器援助などにて〔チャーリー・ウィルソン米元議員が死去、ソ連アフガン侵攻でCIAに協力 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News 〕大々的に支援した。このころからイスラム原理主義の影響が強くなったとされ、アフガニスタン紛争では最初はグルブッディーン・ヘクマティヤール率いるイスラム党(ヘクマティヤール派)の、後にはターリバーンの後ろ盾になったとされる。またパキスタンの核開発にも深く関与した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「軍統合情報局」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Inter-Services Intelligence 」があります。 スポンサード リンク
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