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三辺 長治(みなべ ちょうじ、1886年(明治19年)12月23日 - 1958年(昭和33年)4月27日〔『山梨百科事典』増補改訂版、902頁。〕)は、日本の内務官僚。官選府県知事、東京市助役。 == 経歴 == 富山県上新川郡飯野村(のち広田村飯野、現在・富山市)出身〔。三辺長三郎の三男として生まれる。富山中学、第四高等学校を経て、1911年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業し、内務省に入り埼玉県属となる。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格し、内務属となり警保局に配属。その後、大正3年(1914年)に愛媛県視学官、大正5年(1916年)に大阪府視学官、大正8年(1919年)に内務省地方局事務官となり、地方局市町村課長・都市課長・行政課長などを歴任。 1925年(大正14年)8月17日、山梨県知事に就任。その後、徳島県・岡山県の各知事を経て、1929年7月、内務省土木局長となる。同地方局長を経て、1931年12月、宮城県知事に発令され、愛知県知事を経て、1934年8月、文部次官に就任し1936年6月まで在任。その後、維新史料編纂事務局長、教員検定委員会委員長、対満事務局参与を務める。 1937年7月から1939年4月まで東京市助役を務める。1941年1月、大阪府知事に発令され1943年7月に退官した。戦後、公職追放となり1951年8月に解除され、その後は全国土地収用連絡協議会長、東京都世田谷区富山県人会会長となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三辺長治」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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