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三遊亭円右 : ミニ英和和英辞書
三遊亭円右[み]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [み]
  1. (num) three 
: [まる, えん]
 【名詞】 1. (1) Yen 2. money 3. (2) circle
: [みぎ]
 【名詞】 1. (1) right hand side 2. (2) above 3. afore-mentioned 4. foregoing 5. forgoing 

三遊亭円右 ( リダイレクト:三遊亭圓右 ) : ウィキペディア日本語版
三遊亭圓右[さんゆうてい えんう]
三遊亭 圓右(さんゆうてい えんう)は、落語家名跡三遊派の系統から生まれた名である。「円右」とも記す。現在は空席。
== 初代 ==
初代三遊亭 圓右万延元年6月15日1860年8月1日) - 大正13年(1924年11月2日)は、落語家。本名は沢木勘次郎
4代目橘家圓喬と並び称される明治期から大正期にかけての名人。一代で圓右の名跡を築いた。
父は徳川水戸家の作事大工の家に生まれ〔『演芸博物館 白編』小島貞二、P.56-60〕、名を沢木林蔵といった。本郷出身。幕府の御家人だった伯父は風流人で笛を得意とし初代三遊亭圓朝のお囃子をしていた関係で幼いころから楽屋に出入りする。1872年頃に2代目三遊亭圓橘門下で橘六、1877年に二つ目で三橘、1882年に圓右となり、1883年真打昇進。1897年上方にも活動を始める、この頃に上方ネタを多く改作。1924年10月24日、大師匠三遊亭圓朝27回忌に2代目圓朝の名跡を管理していた藤浦三周からその年の秋に名乗る事を許されるが、既に身体は肺炎に冒されていた。結局病床で襲名するも間もなく逝去。享年65。2代目圓朝となったのは事実であるが、圓朝としてはほとんど活躍せずに没したため「幻の2代目」と言われる。一方、圓右時代の功績が華々しかったためか、一般には「初代圓右」として認識される。「名人圓右」といえば、初代圓右の事を指す。墓所は谷中龍谷寺。
『唐茄子屋』『火事息子』『包丁』などが得意ネタ。
ズボラな性格でろくに稽古もしないで噺を演じるが、聴衆には不自然に聞こえなかったという。
宮松亭での落語研究会で、「包丁」を当日の朝に音曲師の三遊亭橘園に教えてもらい高座に上がったところ、果たして途中で忘れてしまった。「楽屋ではもう、明かにわすれちゃったってことが判って、『さア困ったネエ』ってんですが、教えるわけにもいかず、どうするだろう、お客様はダレやアしないかしらんてんで…同じようなところをとっくり返しひっくり返し十分間ほどもやったが、ようやくその間に先の方を思い出して、どうやら噺がおしまいになったんで、楽屋ではもう、みんなほっとしました。ところが、お客様にはそれがちっとも判らなかったらしい。ですから、非常に腕はあったですね。だけども、そういういけぞんざいなことをするんです」6代目三遊亭圓生著『寄席育ち』より)
幼少期からあだ名は「ほうたく」(天一坊の幼名)
弟子に初代三遊亭圓歌4代目古今亭今輔5代目三遊亭圓橘3代目三遊亭萬橘三遊亭圓條(太田卯三郎)、三遊亭橘園(福田富次郎)、2代目立花家千橘三遊亭右太作(在原ないし有原次郎)、三遊亭右朝(田中金太郎)、三遊亭右鶴(松永辰三郎、後の3代目三遊亭新朝)、三遊亭圓丸(安井国太郎)、三遊亭右左喜(丸吉竹次郎、後の古今亭志ん上)がいる。8代目三笑亭可楽(三遊亭右喜松、後に三橘に改名)、5代目古今亭今輔も一時期圓右門下だった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「三遊亭圓右」の詳細全文を読む




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