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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 三 : [み] 1. (num) three
三遊亭 圓彌(さんゆうてい えんや)は、落語家の名跡。圓弥とも表記する。過去に5人確認されている。 *三遊亭圓彌 - 後の2代目三遊亭圓馬(本名:竹沢釜太郎)。 *三遊亭圓彌 - 初め2代目圓馬の門人の梅雀から圓弥を経て三遊亭小圓馬となった人物がいる。 *橘家圓彌 - 後の橘家小圓太(本名:戸塚韓一郎)、元上方の人物で、東京に出向き4代目橘家圓蔵門下で明治末の数年間名乗る。 *三遊亭圓彌 - 後の5代目三遊亭圓窓(本名:村田仙司)。明治末から真打昇進前の1920年まで名乗る。 *三遊亭圓彌 - 本名は林光男。本項にて詳述。 ---- 三遊亭 圓彌(さんゆうてい えんや、1936年7月20日 - 2006年4月29日)は、東京府(現・東京都)東京市四谷区(現:新宿区四谷)出身の落語家。本名、林 光男(はやし みつお)。生前は落語協会所属。 == 来歴・人物 == 1958年10月、8代目春風亭柳枝に入門。「枝吉」と名乗る。師匠柳枝没後は弟弟子春風亭枝女吉(現:6代目三遊亭圓窓)と共に6代目三遊亭圓生門下に移籍し、「舌生」と改名。1961年9月、二つ目昇進し「円弥」と改名。NHK『お好み演芸会』の噺家横丁(大喜利)では「幻の噺家」(『笑点』の前身番組『金曜夜席』に短期出演していたことが由来)をキャッチフレーズにしていた。1972年9月、真打昇進。名を「円弥」から「圓彌」に改めた。舞踊が趣味で日舞は藤間流の名取りでもあり、『七段目』は彼ならでは。 師匠圓生のレコード『圓生百席』では出囃子、送り囃子の鳴り物(寄席では前座が行う)を担当した。また通常、出囃子で唄入の曲が使われることはないが、この全集では使われておりこの唄も担当した。当初は圓生と二人で歌っていたが、収録が進むにつれ、一人で歌うようになった。 1978年の『落語協会分裂騒動』では、圓生と行動を共にして協会脱退し落語三遊協会所属となったが、圓生没後の1980年協会復帰。この時、まだ前座だった弟弟子三遊亭小生を弟子とした(小生は後に廃業)。 9代目春風亭柳枝襲名を期待する声もあったが、8代目遺族の出した条件が飲めず、襲名は叶わなかったという。その後の圓彌は圓生の正当な後継者を自負していた節があり、晩年には出囃子を『四季の寿』から(圓生と同じ)『正札附』に変えていた。 2006年4月29日、肝臓癌のため都内の病院で死去。享年69。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三遊亭圓彌」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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