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三遊亭遊團次 : ミニ英和和英辞書
三遊亭遊團次[み]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [み]
  1. (num) three 
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 

三遊亭遊團次 ( リダイレクト:三遊亭福圓遊 ) : ウィキペディア日本語版
三遊亭福圓遊[さんゆうてい ふくえんゆう]
三遊亭 福圓遊(さんゆうてい ふくえんゆう、安政5年8月15日1858年9月21日) - 没年月日不詳・大正末頃)は、落語家。本名は新井徳次郎
初めは明治10年代初め4代目麗々亭柳橋の下に入門して柳作を名乗る。1890年頃に柳右と改名した後、3、4年後初代三遊亭圓遊門下に移って遊人となる。1899年に真打昇進して、三遊亭い圓遊に改名。
1901年には3代目春風亭柳朝門下に移って春風亭小柳朝に改名するが、1902年?に初代圓遊門下に戻って三遊亭遊團次(遊團治と表記することもある)に改名。1903年には三遊亭福圓遊となる。(1899年には既にい圓遊から福圓遊になっていた可能性もある)
真打に昇進したものの、三遊派柳派を行き来し出直したりしたが、結局大成せず中看板で終わった。
芸は百面相声色を得意とした。特に5代目市川小團次等人がやらない声色を得意とした。
1912年の『文芸倶楽部』の評には「百面相が得意な三遊亭遊人が起用で又仮声が遣ったが、これは風変わりに滅多に他人が遣らぬ尾上幸蔵や市川小團次を遣った」と書かれている。
数枚のSP盤レコードを残している。
没年月日は不詳である。ただ、大正の末頃までは睦会の顔付などに名前が出ているので、その頃没かとも推察されている。
い圓治、いさみ、い子丸、い奈妻、いてうなどの弟子がいた。
== 参考文献 ==

*『古今落語系図一覧表』(4代目桂文之助著、山本進校注、日本芸術文化振興会、2004年
*今週の噺家


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「三遊亭福圓遊」の詳細全文を読む




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