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三重交通サ150形電車 : ミニ英和和英辞書
三重交通サ150形電車[みえこうつうさ150がたでんしゃ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [み]
  1. (num) three 
三重 : [みえ, さんじゅう]
 【名詞】 1. triple 2. treble 3. threefold 4. three-ply 5. triplicate 
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important
交通 : [こうつう]
  1. (n,vs) communication 2. transportation 3. traffic 4. intercourse 
: [つう]
  1. (adj-na,n) (1) connoisseur 2. authority 3. (2) counter for letters, notes, documents, etc. 
: [けい, かたち, ぎょう]
  1. (suf) shape 2. form 3. type
電車 : [でんしゃ]
 【名詞】 1. electric train 
: [くるま]
 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel 

三重交通サ150形電車 : ウィキペディア日本語版
三重交通サ150形電車[みえこうつうさ150がたでんしゃ]
三重交通サ150形電車(みえこうつうサ150がたでんしゃ)は三重交通が三重線〔のちの近鉄湯の山線・内部線・八王子線に相当する、四日市地区の762mm軌間路線群を総称。〕および北勢線(現在の三岐鉄道北勢線)の旧形客車代替用として製造した客車あるいは電車用付随車の1形式である。ここでは同一目的で製造されたサ100形および既存の客車からの改造でそれらの先駆となったサニ431およびサ381・391についても記述する。
== 概要 ==
1944年に三重県下の鉄軌道の大半を統合する形で成立した三重交通では、統合された各社が保有していた種々雑多な車両群、ことに762mm軌間の各社から承継された老朽化した客車群の取り扱いが問題となった。
これらの中には、1943年に国鉄名松線の開業で全廃となった中勢鉄道からの譲渡車が多数含まれており〔その中には大日本軌道伊勢支社時代の1908年に製造された40人乗り車などの小型車が少なからず含まれており、輸送力増強という観点でははなはだ非効率的であった。〕〔TR40 pp.103・107〕、それでも車両の絶対数に不足が生じていた戦時中は引き続き使用されていたが、戦後、それらの種々雑多な小型老朽車両の淘汰と規格化された新造車への置き換えが急務となった。
そこで、合併直前の1944年1月に北勢電気鉄道がやはり中勢鉄道から譲受したものの、あまりに小型で使い物にならなかった30人乗りのキホハ28〔元大日本軌道熊本支社1。元々は蒸気軌道用の6m級超小型ボギー客車で1907年軽便車輛製作所製。〕〔TR40 pp.104 - 105〕、の車体を新造の大型木造車体で置き換え〔状況から当時の国鉄名古屋工機部が担当した可能性が高いとされる。統制経済下で車両新造には非常に厳しい制約があった当時、流用部品が事実上皆無の完全新車であっても、車籍さえ在来車から継承していれば書類に不備がない限り認可が得られた「改造」は、車両調達の際に一種の緊急避難的な方策として各社で多用された。〕〔TR40 pp.95・103 - 105〕、10m級の旅客・荷物合造客車であるサニ431〔北勢電気鉄道時代の改造後形式は不詳。ただし、竣工日から合併後の形式を先取りする形でこのナンバーが与えられていた可能性がある。〕としたのにならって、1948年に日之出車輛工業なるメーカーで老朽化した旧中勢鉄道譲受車であるサ362〔元南越鉄道ハ3→中勢鉄道ハ6→三重鉄道ホハ16。1913年名古屋電車製作所製。〕〔TR40 p.107〕と四日市鉄道開業以来のサ341〔元四日市鉄道ホハ5(三重鉄道合併後も同一車番)。同じく1913年名古屋電車製作所製。〕〔TR40 p.107〕の台枠や台車などを流用して車体をサニ431と同様の形状で新造し、サ381・391とした。
もっとも、これらは種車の構造の相違から各部の仕様や寸法が微妙に異なり取り扱い上不便であったらしく、以後の増備は既存車の改造ではなく完全新造車の量産に切り替えられることとなった。
そこで先のサ381・391の改造を担当した日之出車輛工業と大平車輛という2つのメーカーへ各3両ずつ、これらの改造車に準じた仕様の9m級木造客車が発注された。これらは1950年6月にサ100形101 - 106として竣工し、日之出車輛工業製の101 - 103は三重線へ、大平車輛製の104 - 106は北勢線へ、それぞれ配置された〔TR40 pp.95・104・107〕。
さらに、同じ1950年の11月にはサ100形を半鋼製化してモニ220形に類似の外観としたサ150形が近畿車輛(近車)(151 - 154・161 - 164)と帝国車輌(帝車)(155・156)で落成、翌年1月にも帝車で165・166が落成して12両が出揃った。これらについても前回同様151 - 156が北勢線に、161 - 166が三重線に配置され、ここにおいてようやく種々雑多な在来客車の淘汰〔この18両の増備で生じた余剰車はそれでも大半は解体されず、6両が静岡鉄道駿遠線へ、7両が尾小屋鉄道へそれぞれ譲渡されている。〕による輸送状況の改善が実現した。
このように、三重交通統合前に北勢電気鉄道が設計・改造した客車が三重交通成立後も同社の客車設計の基本となり、また電車も旧北勢車の設計ほぼそのままで戦後リピートオーダーされたことから、当時の三重交通における旧北勢電気鉄道の発言力が大きなものであったことがうかがわれる。だが、その一方で以後の新車は観光輸送への対応を理由として三重線(および1,067mm軌間の志摩線)に優先的に配置されており、1950年代初頭までの北勢線の隆盛ぶりと、以後の三重交通における湯の山温泉に関連する観光開発投資の規模の大きさが見て取れよう。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「三重交通サ150形電車」の詳細全文を読む




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