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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 三 : [み] 1. (num) three ・ 関 : [せき, ぜき] (suf) honorific added to names of makuuchi and juryo division sumo wrestlers
三関(さんげん、さんかん)とは、古代の日本で畿内周辺に設けられた関所の内、特に重視された三つの関の総称。三国之関とも呼ばれた。当初は不破関(美濃国、現在の岐阜県不破郡関ケ原町)、鈴鹿関(伊勢国、現在の三重県亀山市か)、愛発関(越前国、現在の福井県敦賀市内か)の三つを指したが、9世紀初頭に相坂関(近江国、現在の滋賀県大津市付近か)が愛発関に代わった。また、三関のある律令国は三関国と呼ばれた。 ==三関の役割== 三関には鼓吹軍器、すなわち兵器類が常備され、必ず複数の国司四等官が関を守護するため常駐する規定があった〔『令義解』 置関条〕。この常駐四等官は城主とよばれ、非常事態に備えていた〔『令義解』 辺城門条〕。 非常事態が発生すると、朝廷は三関に固関使(こげんし)を派遣する。この際、蔵司が保管する関契とよばれる割符の左符が固関使に与えられ、三関で国守によって保管されていた右符と照合を行なう。これが一致すると非常事態と認められ、関が閉鎖された。これを固関と呼ぶ。非常事態が解消した後の解関(開関)も同様の手続きによった。 関を閉鎖するのは東国から畿内への侵入を防ぐ為である。特に中央で非常事態が発生した折に、その期に乗じての東国から畿内への侵入を防ぐ目的である。また中央の謀反者の東国への逃走を防ぐ目的もあり、天平宝字8年(764年)の藤原仲麻呂の乱では、愛発関を閉じる事で仲麻呂が息子のいる越前国へ逃げる事を防いだ〔『続日本紀』天平宝字8年9月18日(764年10月21日)条〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三関」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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