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三雲南小路遺跡(みくもみなみしょうじいせき)は、福岡県糸島市にある伊都国の遺跡。市内の細石神社の裏手に所在する。 周溝を持つ墳丘墓で、甕棺墓 2器を持つ弥生時代の王墓である。 == 概要 == 文政5年(1822年)2月、三苫清四郎が住宅の土塀を築こうと南小路の畠の土を取ろうとして偶然発見したという。 後の1974年(昭和49年)の再調査の時に「2号甕棺」が発見された。 平成の学術調査で「周溝」を持つ事が判明し、現在は「方形周溝墓で、甕棺を2器を添える様にして設置した墓」である、とされる。 甕棺の形式は「立岩式古段階(弥生時代中期中頃)」の形状を持つ。 「2号甕棺(王妃墓)」の被葬者は北東方向に顔を向けた形で葬られていた、らしい。 「1号甕棺(王墓)」は正確には不明だが、二つの甕棺が添うように安置されている事から、同様の形式で埋葬されたと思われる。 加えて、西側の周溝に「祭祀跡」とみられる痕跡があり、東側の「高祖山系」の山並みとの関連性がうかがえる。これは後の時代の平原遺跡1号墓(平原弥生古墳)に通じるものであろう〔「三雲遺跡 南小路地区編」福岡県文化財調査報告書、第69集 福岡県教育委員会1985〕。 最新の研究では、この三雲南小路遺跡と、春日市の「須玖岡本遺跡のD地点の遺跡(巨石下甕棺墓)」とは同一規模の構造を呈している可能性が示唆されている。〔「自然と遺跡からみた福岡の歴史」福岡市史編集委員会2013〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三雲南小路遺跡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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