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「上を向いて歩こう」(うえをむいてあるこう、別名:スキヤキ、SUKIYAKI)は、坂本九の楽曲。作詞は永六輔、作曲は中村八大〔当時3人は「六八九トリオ」と呼ばれてもてはやされた。〕、プロデューサーは草野浩二。ビルボード(Billboard)誌では、1963年6月15日付に、現在においても日本人のみならずアジア圏歌手唯一となる週間1位を獲得。同誌の1963年度年間ランキングでは第10位にランクイン。後に数多くのアーティストによってカバーされ、いまだに外国人によるモノマネのネタにもされる。坂本の突然の航空機事故死のメモリアルソングとしてもよく用いられる。 == 日本でのヒット == 元々は中村八大が1961年7月21日に開催した自身のリサイタルのために制作した楽曲であったが、曲直瀬信子の推薦により、坂本九のシングル曲としてレコーディングされることになった〔『坂本九 上を向いて歩こう』日本図書センター、2001年、52頁。ISBN 4820559729〕〔坂本九さん「上を向いて歩こう」、初の12センチCDが発売へ 、RRB TODAY、2011年6月15日16時14分。〕。 1961年7月21日、産経ホールで開催された「第3回中村八大リサイタル」で、坂本九の歌によって初披露された〔世界で一番有名な「ジャパニーズ・ソング」はこうして生まれた! 決意と挫折と希望が育んだ永遠の名曲、誕生秘話 (1) 、上を向いて歩こう特集 Powerd by MUSIC Imidas - Yahoo! JAPAN (2012/03/03閲覧)〕〔木琴の音色が世界に愛される曲を生んだ! 作曲家・中村八大の“ミクスチャー”音楽体験 、上を向いて歩こう特集 Powerd by MUSIC Imidas - Yahoo! JAPAN (2012/03/03閲覧)〕。 同年8月19日、NHKで放送されていたテレビ番組「夢であいましょう」でテレビ初披露〔世界で一番有名な「ジャパニーズ・ソング」はこうして生まれた! 決意と挫折と希望が育んだ永遠の名曲、誕生秘話 (4) 、上を向いて歩こう特集 Powerd by MUSIC Imidas - Yahoo! JAPAN (2012/03/03閲覧)〕。 同番組において、1961年10月・11月の「今月のうた」として発表され、同年10月15日にレコードが発売されると爆発的なヒットとなった。当時の日本のレコード売り上げランキング(『ミュージック・ライフ』誌に掲載されていた国内盤ランキング〔『ミュージック・ライフ』誌のランキングは、オリコンが発足する以前の日本において、著名なレコード売り上げランキングの一つであった。〕)では1961年11月 - 1962年1月まで3ヵ月にわたり1位を独走した〔データボックス (2) 、上を向いて歩こう特集 Powerd by MUSIC Imidas - Yahoo! JAPAN (2012/03/03閲覧)〕。 売り上げだけを見れば相当なものであったが、九の独特な歌い回しが耳に合わない当時の保守的な日本の歌謡界においては評価は高くなかった。日本レコード大賞にも選ばれていない。だが、この評価は世界での大成功により覆された。 坂本九は本楽曲で1961年の「第12回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たした。また、2000年の「第51回NHK紅白歌合戦」の第一部終了後、紅白に出演していた時の坂本九の映像のもと、出場歌手によって「上を向いて歩こう」が大合唱された。 「夢であいましょう」の出演者の一人だった黒柳徹子は、当時の日本に「ランキング」というもの自体無く(オリコンの集計は1968年開始)、ましてや「全米ビルボード1位」というのが、どれほどすごいことなのか分からず、坂本がアメリカから帰って来た時も「上を向いて歩こう」が「SUKIYAKI」として、世界各国で発売されていることは知っていたため、それに対して「すごいね」とは言ったものの、「よくやった」、「おめでとう」という言葉を、当時の坂本に言うことが出来なかった。作詞の永六輔や作曲の中村八大も、特に喜んでいる素振りもなく、普通にしていた、と後に語っている〔黒柳徹子スペシャルインタビュー|ビルボードジャパン 〕。 作詞者の永六輔自身は、レコーディングの時に歌い出しの「上を向いて……」の部分を初めて聴いて「ウエヲムーイテ」が「ウヘホムフイテ」に聞こえたといい、「何だその歌い方は!」と九に向かって激怒し、「これでは絶対ヒットしない」と言った〔『坂本九 上を向いて歩こう』51-52頁。〕〔永六輔『二度目の大往生』岩波書店〈岩波新書〉、1995年初版、137-139頁。〕。この独特の歌い方は、母がやっていた小唄と、プレスリーやバディ・ホリーの影響であるとも言われている〔。永六輔は後に、九の母が九に小唄や清元などの邦楽を教えたという話から、九と邦楽の歌い方を結びつけて考えるようになり、九の邦楽的な歌い方が、この歌の世界的なヒットと関係があると考えた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上を向いて歩こう」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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