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上原 晃(うえはら あきら、1969年5月16日 - )は、元プロ野球選手(投手)。沖縄県出身〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、78ページ〕。右投げ右打ち。 == 来歴・人物 == 沖縄水産高では甲子園に4回出場。1年時の1985年夏の甲子園では3回戦で鹿児島商工に敗退、控え投手ながら2試合にリリーフとして登板した〔「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年〕。翌1986年春の選抜からエースとして出場、しかし1回戦で上宮高に敗れる〔「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年〕。同年夏の選手権は準々決勝に進むが、水口栄二、佐野重樹のいた松山商に9回裏サヨナラ負け〔。1987年夏の甲子園は1回戦で函館大有斗の盛田幸妃に投げ勝つが、2回戦では常総学院の島田直也に完封を喫する〔。 完成度の高い速球に「オキナワの星」として注目を集め、阪神タイガースがドラフト1位で指名すると噂されるも、明治大学への進学を希望〔。しかし、1987年のドラフト会議で中日ドラゴンズが3位で強行指名し、監督の星野仙一の説得もあり中日への入団を決意する〔。 1988年、背番号17を与えられたルーキーの上原は、ウエスタン・リーグ最優秀防御率及び最多勝率を記録し、ジュニアオールスターゲームでも活躍〔。一軍に抜擢された後は、抑えの郭源治に繋ぐ前のリリーフを任せられ、8月7日にはプロ初勝利を挙げる。同年は24試合に登板、防御率2.35と堂々の成績を残し日本シリーズでも登板。 翌年から先発に転向するが実績は残せず、1991年にセットアッパーに戻って8勝をあげる。しかし指先の血行障害で手術を余儀なくされ、その後は登板機会も少なく、1996年には中日を自由契約となる。広島東洋カープ(1997年)、ヤクルトスワローズ(1998年)と球団を転々とするが一軍登板はなく、1998年限りで引退〔。現在は整体師を務める。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上原晃」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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