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上尾宿(あげお-しゅく)は、日本の近世にあたる江戸時代に整備され、栄えていた宿場町。 中山道六十九次のうち江戸・日本橋から数えて5番目の宿場(武蔵国のうち、第5の宿〔現在では、埼玉県に属する第4の宿。〕)。 所在地は、江戸期には東海道武蔵国足立郡上尾宿〔宝亀2年(西暦771年)10月27日以前は東山道武蔵国足立郡。〕。 現在の埼玉県上尾市にあたる。 == 特徴 == === 幕府直轄領、林本陣、飯盛女 === 幕府直轄領(通称:天領)である。 道中奉行による天保14年(1843年)の調べ〔『中山道宿村大概帳(なかせんどう しゅくそん-だいがいちょう)』に基づく。『宿村大概帳』とは、幕府の道中奉行所が調査した五街道とその脇街道の宿場の記録で、53冊が収蔵されている。各宿場の人口、家数、本陣、旅籠の数、高札の内容、道路の広さ、橋、寺社、地域の産業、特産品など、宿場と街道筋の村落の状況が詳しく記載されており、五街道分間延絵図とともに道中奉行所が用いたものらしい。成立年代不明ながら、天保から安政(1840- 1850年代)にかけての調査と考えられている。〕で、町並みは10町10間(約1.1km)。宿内人口793人(うち、男372人、女421人)。宿内家数182軒(本陣1軒、脇本陣3軒、問屋場1軒、高札場1軒、旅籠41軒)。 現在の仲町付近が上尾宿の中心で、本陣・脇本陣・問屋場・高札場などはここに集中していた。 比較的小さな宿場であったが、本陣の規模は信濃国・塩尻宿のものに次ぐ大きさを誇った。 この本陣は氷川鍬神社〔現・上尾駅東口、まるひろの南側。〕の正面〔神社前の病院駐車場の奥、稲荷神社のところ。〕にあり、その両側に脇本陣が2軒あった。 神社のすぐ南にもう1軒の脇本陣があり、すなわち上尾宿には、本陣が1軒(林八郎右衛門家)、脇本陣が3軒(本陣の両側が白石長左衛門家、井上五郎右衛門家、向かいが細井弥一郎家)あった。 上尾宿は江戸を出立してからおよそ10里の地点にあり、旅人が1日で歩く距離に最も近似であった。日本橋を七つ立ち〔早朝4時に出発すること。〕していれば、上尾宿で最初の宿を探すことになる。 そのため、周辺の宿場より旅籠が多く、天保の頃で41軒と賑わっていた。 また、飯盛旅籠(めしもり-はたご)も多い。『中山道宿村大概帳』には飯盛女の数49人とあり、これを目当てに川越や岩槻あたりからやってくる遊び客も少なくなかったという。 茶屋も数軒あり。 〔亀井千歩子ほか 『中山道を歩く』改訂版 山と溪谷社〈歩く道シリーズ 街道・古道〉、2006年、18- 21頁、ISBN 4-635-60037-8 :一部を除く。〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上尾宿」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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