|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 上 : [じょう] (n,pref,suf) 1. first volume 2. superior quality 3. governmental 4. imperial 5. top 6. best 7. high class 8. going up 9. presenting 10. showing 1 1. aboard a ship or vehicle 12. from the standpoint of 13. as a matter of (fact) 13. superior ・ 山 : [やま] 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point ・ 仁 : [にん, じん] (n) kernel
上山 仁(かみやま ひとし、1966年6月21日 - )は、日本の元プロボクサー。青森県川内町出身。日本ジュニアミドル級(現スーパーウェルター級)王座を20度防衛。新日本木村ボクシングジム所属。 == 来歴 == 1986年7月24日、プロデビュー(初回KO勝ち)。 1986年12月19日、東日本ウェルター級新人王獲得。続く1987年2月21日には全日本同級新人王も獲得。 1988年5月9日、10戦目で日本王座に初挑戦。日本ウェルター級王者吉野弘幸(ワタナベ)に挑むが、3回KOで敗れ王座奪取ならず。プロ初黒星を喫した。その後、1階級上のジュニアミドル級に転向。 1989年1月9日、12戦目で日本王座に再挑戦。大竹永寿(グリーンツダ)と空位の日本ジュニアミドル級王座を争い、5回KO勝ちで日本王座を獲得した。その後は年間3 - 4度のペースで防衛を重ね、1991年9月22日には10度目の防衛に成功。 1991年12月9日、ウェルター級時代に王座挑戦を退けた吉野とノンタイトルで再戦。現役日本王者同士の対決ということで注目が集まったが、試合は上山の7回KO勝ち。3年前の雪辱を果たした。その後は日本王座を2度防衛(通算12度目の防衛)。 1992年12月21日、日本王座在位のまま世界初挑戦。敵地でフリオ・セサール・バスケス(アルゼンチン)と空位のWBA世界ジュニアミドル級王座を争ったが、初回に3度のダウンを奪われKO負け〔ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年、280頁〕。世界王座奪取はならなかった。 世界挑戦後は日本王者としてさらに防衛戦を続け、1995年3月13日、遂に20度目の防衛に成功。そして、この試合を最後に現役引退を表明し、王座を返上。8月14日に引退式を行った(この日は自身の返上した日本ジュニアミドル級の王座決定戦が行われ、ジムの後輩伊藤辰史が大東旭を10回判定に降し、王座を獲得した)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上山仁」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|