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上山英一郎 : ミニ英和和英辞書
上山英一郎[うえやま えいいちろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [じょう]
 (n,pref,suf) 1. first volume 2. superior quality 3. governmental 4. imperial 5. top 6. best 7. high class 8. going up 9. presenting 10. showing 1 1. aboard a ship or vehicle 12. from the standpoint of 13. as a matter of (fact) 13. superior
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [いち]
  1. (num) one 

上山英一郎 : ウィキペディア日本語版
上山英一郎[うえやま えいいちろう]

上山 英一郎(うえやま えいいちろう、文久2年(1862年) - 昭和18年(1943年9月7日)は、日本の実業家。蚊取線香の発明者。また、「金鳥」の商標で知られる大日本除虫菊の創業者。向島亀森八幡神社「除虫菊神社」の祭神スポット3 瀬戸内の除虫菊発祥の地に祭られる「除虫菊神社」 〕。前名秀之助〔『人事興信録 第13版上』 人事興信所、1941年、う三三頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月3日閲覧。〕。
== 経歴 ==
文久2年1862年紀伊国有田郡山田原村(現・和歌山県有田市)の蜜柑農家に生まれる。父は上山長八〔。上山家は国内有数の蜜柑農家であり、上山家の蜜柑は紀州山勘蜜柑(当主が上山勘太郎と称していたため)と呼ばれていた。
16歳の時に上京して神田の進徳館に入り学を修めて後、立教学校に転じて英人に就いて語学を学び更に慶應義塾に教育を受けた〔『非常時日本と人物』 原静村、南海新聞社、1935年、91 - 98頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月3日閲覧。〕。しかし病気になり、涙を飲んで帰郷した〔。病が癒えると再度上京し勉学を切願したが親近者が許さなかったので、方向を転じて「産業界に貢献しよう」と深く決意した〔。
1885年サンフランシスコ植物の販売を行う植物輸入会社を営むH.E.アモアが福澤諭吉の紹介状を携え、日本の珍しい植物を求め上山の農家を訪ねた。上山はアモアに棕櫚秋菊などを進呈し、その見返りとしてビュハークという除虫菊の種子を譲り受ける事となる。翌1886年より上山は除虫菊の種子の栽培研究を開始した。
1887年、除虫菊の栽培に成功した上山は全国各地を講演して回り、この種の普及に努めた。1890年仏壇線香からヒントを得、持続時間1時間程の棒状の蚊取り線香を考案、発売する〔但しこの線香は持続時間が短い事や運搬中の破損が多いなどといった欠点が指摘されていた。〕。1895年、妻・ゆきの「渦巻き型にすればよいのでは」というアイデアに着想を得て蚊取り線香の改良に着手、1902年に日本初の渦巻き型蚊取り線香を発売開始した。1919年、大日本除虫粉株式会社を設立。1929年、大阪駐在ユーゴスラビア名誉領事に任命された。1943年9月7日、死去。享年82。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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