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上川 徹(かみかわ とおる、1963年6月8日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元サッカー選手、日本サッカー協会所属の元サッカー審判員。 2006年まで、国際審判員として活躍した。現在は、日本サッカー協会審判委員長。 == 経歴 == 鹿児島高専3年修了後中退、東海大学を経てフジタ工業でプレーした。1992年引退後、日本初のプロサッカーリーグ(Jリーグ)のために設置された選手経験者向け審判養成講座の一期生として審判員のキャリアをスタートする。1994年、1級審判員を取得し、1996年にJリーグの主審デビュー。1998年から国際主審登録され、国際Aマッチでも笛を吹いた。2002年からはJFAのスペシャルレフェリー(現:プロフェッショナルレフェリー)(審判活動によって主たる収入を得る審判員)として活動していた。 2002 FIFAワールドカップで初めてW杯の主審に選ばれ、グループリーグのアイルランド対カメルーン戦を担当した〔FLASH 2012年6月26日号 29頁 2002日韓W杯「あの人」「あの聖地」の今〕。2006 FIFAワールドカップでも2大会連続で主審として選出、グループリーグ開幕2戦目のポーランド対エクアドル戦と、イングランド対トリニダード・トバゴ戦を担当した。さらに、同リーグでのジャッジが評価され、日本人審判員としては初めて、廣嶋禎数とともに、決勝トーナメント3位決定戦ドイツ対ポルトガル戦の審判(主審)も務めた〔。この試合ではドイツ代表のGKであるオリバー・カーンからナイス・ジャッジだったと声をかけられている〔。同一のワールドカップにおいて、日本人審判員が3度主審を務めたのは初めて(後に西村雄一が2010年大会で4度務めて記録を更新)。ワールドカップの審判員は45歳が年齢の上限と定められているため、2006年のワールドカップが最後の機会(当時43歳)となった。 2006年10月、ひざの故障なども影響し、南アフリカW杯に向けて後進に道を譲るため、国際主審としては2年・国内1級審判としては7年の定年を残して勇退することを発表した。同じく2007年1月、スペシャルレフェリーを退任して現役を引退する方針を固める事となった〔。同年2月からは日本サッカー協会内に新設されるトップレフリー・インストラクターとして後進の指導にあたる。南アフリカW杯ではFIFAが組織する「審判委員会」のメンバーとなり〔、出場審判員の審査を行なう「アセッサー」として参加している。2011年には、IFFHSが選ぶ4半世紀の優秀な審判において、第102位に選ばれた〔The World's best Referee of the Quarter of a Century (1987-2011) IFFFS、2012年9月12日閲覧。〕。2012年6月、日本サッカー協会理事・審判委員長に就任。同年8月よりJリーグ理事も兼務。 審判現役時代は試合中にスタミナ切れにならないよう、週4回ほど5キロのマラソンをしていたとのこと。〔NHKにんげんドキュメントもうひとつのワールドカップ審判・上川徹の挑戦〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上川徹」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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