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上川 誠二(かみかわ せいじ、1960年3月27日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(内野手)。 == 来歴・人物 == === プロ入り前 === 和歌山県立箕島高等学校では1977年(昭和52年)、エース東裕司(三菱自動車水島)を擁し二塁手として第49回選抜高等学校野球大会に出場。準決勝で山口哲治のいた智弁学園を降し決勝に進出。東が中村高の山沖之彦との投げ合いを制し、7年ぶりの優勝を飾る〔澤宮優『ドラフト外』河出文庫、2013年、ISBN 9784309412603〕。春夏連覇の期待もかかったが、夏は県予選決勝で田辺高の木下透に完封負け、紀和大会にも進めなかった。1年下のチームメートに石井雅博がいた。 高校卒業後、三協精機に進むも、入社1年目にして不況により野球部が休部となる。映写機のネジ締め作業を3か月行った後、大昭和製紙へ移る。(昭和56年)の都市対抗に出場するが〔「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年〕、同年の冬にまたもチームが休部となる。これを入団時にマスコミは「二度死んだ男」と言った。既にドラフト会議も終わっており、阪急ブレーブスと中日ドラゴンズから入団の打診があった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上川誠二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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