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上本町(うえほんまち)は、大阪府大阪市天王寺区の町名。1丁目~9丁目がある。 上町台地の最高所を走る上町筋に沿って、北は長堀通(上本町1交差点)から南は勝山通(五條宮前交差点)まで南北に細長い。千日前通(上本町6交差点)以北は、上町筋の東側が上本町(1丁目~5丁目)、西側が中央区上本町西(1丁目~5丁目)、以南は両側とも上本町(6丁目~9丁目)となっている。 ==歴史== 豊臣初期の大坂城下における幹線道路であった「八町目条」に沿って、早くから町並みが形成されていた。近世以降、船場・島之内といった下町に城下の中心が移ると、上町の中心の意から上本町と呼ばれるようになった。 近世においては、内本町通(馬場町交差点)から農人橋通(法円坂交差点)までが1丁目、久宝寺橋通(上町交差点)までが2丁目、安堂寺橋通までが3丁目、空堀跡(上本町3交差点)までが4丁目であった。また、上町筋も当時は上本町筋と呼ばれていた(ただし、大坂城内である馬場町以北を除く)。 上本町筋に沿って立ち並ぶ町屋の他は、空堀跡以南の札之辻町にかけて武家屋敷地となっていた。さらに南の東成郡東高津村領内には八丁目寺町・八丁目中寺町・八丁目東寺町が形成されていた。これらの寺町は大坂の役直後の1616年(元和2年)に形成された寺町で、東隣の同郡小橋村領内に形成された小橋寺町との境が真田丸跡であることから、弱点と言われた大坂城南の防御を考慮した配置であると考えられている。 1871年(明治4年)、久宝寺橋通以北は兵部省管轄地となった。1872年(明治5年)、札之辻町を編入し、1丁目~3丁目に再編。1900年(明治33年)、四天王寺東門前にかけて拡大され、1丁目~10丁目となった。1944年(昭和19年)、1丁目が上町に、10丁目が東門町に改称され、2丁目~9丁目となった。1981年(昭和56年)、2丁目が1丁目に、3丁目が2丁目~3丁目に再編され、37年ぶりに1丁目が復活した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上本町」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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