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上杉 吉憲(うえすぎ よしのり)は、出羽米沢藩の第5代藩主。4代藩主・上杉綱憲の長男(庶長子)。吉良上野介の孫にあたる。 == 経歴 == 庶子ではあったが、父と正室・栄姫に間に嫡子がなかったので、栄姫を養母として正式に世子となり喜平次と改名。元禄11年(1698年)11月28日、元服し、従四位下民部大輔に叙任。将軍徳川綱吉の偏諱を受け吉憲を名乗る。元禄16年(1703年)8月21日、父の隠居により家督を継ぐ。同日、侍従兼任。 宝永元年9月(1704年9月)、家督相続早々に江戸幕府より江戸城半蔵門・清水門の石垣普請を命じられた。宝永2年(1705年)に米沢に初入部、またこの年に片山元僑を藩に招く。享保4年(1719年)には弟・勝周に1万石を分与して支藩である米沢新田藩を立藩させた。先述の普請などもあって藩財政の窮乏が進み、参勤交代の費用にすら事欠く有様で、享保5年(1720年)の参勤交代の際には藩士の俸禄100石中の300文、人別銭100文を徴収して江戸への路費にあてる始末であった。また藩士も窮乏し、正徳年間には既に中級武士の馬廻組の中に家財を売って、細工物をして生計を立てる者も多くなる。 享保7年(1722年)、39歳で死去した。墓所は米沢市。跡を長男・宗憲が継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上杉吉憲」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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