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上杉 房能(うえすぎ ふさよし、文明6年(1474年)〔「延徳三年長尾能景、上杉房定父子等年齢書出」(山本信吉編『高野山正智院経蔵史料集成ー正智院文書』82号、吉川弘文館、2004年)〕 - 永正4年8月7日(1507年9月13日))は戦国時代の守護大名。越後国守護。山内上杉家の一族である越後上杉家の出身。通称は九郎。官位は民部大輔。父は上杉房定。兄に定昌、顕定。子に上杉定実室、養子に龍松(八条房孝の子)、定実。 元服の際、守護代長尾能景が烏帽子親となり、能の一字を取り、房能と名乗る。 長兄の定昌は早世し、次兄の顕定が山内上杉家の養子となって関東管領となったため、明応3年(1494年)に病没した父の跡をついで越後の守護となる。守護代の長尾能景の補佐を受けるが、越後上杉家の戦国大名化を目指して明応7年(1498年)に守護不入特権の停止を命じるなど、在地領主の特権の制約を図ったために能景らと対立する。 それでもなお守護代としては忠実であった能景が永正3年(1506年)、越中国において一向一揆のために戦死すると、能景の子で跡を継いだ長尾為景は房能の養子の定実を擁し房能に公然と反旗を翻す(越中において包囲された能景を房能が見捨て、その事を恨んでいたという説もある)。翌永正4年(1507年)、定実・為景の軍勢に拠点を急襲され、顕定を頼り関東へ向かった。しかし、逃れる途上に直峰城に立ち寄ったが為景軍の追撃を受けて松之山に逃れ、8月7日に天水越で自刃した(永正の乱)。 十日町市松之山天水越に房能を弔った管領塚が存在する。〔http://www.tokamachishikankou.jp/history/ruin/kanryozuka/〕 ==脚注== 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上杉房能」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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