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上杉 教朝(うえすぎ のりとも)は、室町時代後期の武将。上杉禅秀の子。関東執事(堀越公方)。 == 生涯 == 生まれてまもなく、常陸国人大掾満幹の養子となっていたが、父が上杉禅秀の乱(1409年)を起こし一族の多くと共に敗死・自刃すると、兄の憲秋、持房らと共に京都に逃亡して僧になった。後に還俗、この当時の将軍・足利義教より偏諱の授与を受けて教朝と改名し(これ以前の名前は不明)、永享の乱、結城合戦において兄と共に軍を率い幕府方として活躍した。後に享徳の乱を起こして追放された足利成氏に代わって鎌倉公方として派遣された足利政知に渋川義鏡らと共に付き従い、鎌倉入りを目指したが政情不安のため果たせず、政知は堀越に留まり堀越公方となり、教朝は関東執事となった。 寛正2年(1461年)に死去。死因は病死とも渋川義鏡の策謀による自害ともいわれる。関東執事は子の政憲が継承し、養子の朝定(越後守護上杉朝方の子)は山本寺上杉家の祖となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上杉教朝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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