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上海租界(シャンハイそかい)とは、1842年の南京条約により開港した上海に設定された租界(外国人居留地)を指す。当初、イギリスとアメリカ合衆国、フランスがそれぞれ租界を設定し、後に英米列強と日本の租界を纏めた共同租界と、フランスのフランス租界に再編された。上海租界はこれらの租界の総称である。 == 租界の誕生 == 中国(清朝)が阿片戦争でイギリスに敗北し、「南京条約」によって上海が開港させられた〔劉(2010年)18ページ〕。しかし、この「南京条約」では、イギリス領事が駐在すること、貿易に従事するイギリス人が居住することは認めたが、居住する地域については定められていなかった〔竹内(2009年)143ページ〕。「南京条約」から2年後の1845年11月に当時の(地方長官)が初代イギリス領事であると度重なる協議の結果、イギリス商人の居留地として黄浦江のほとりに、およそ0.56平方キロの土地の租借を定める『第一次土地章程』(Land Regulations)を領布した〔。上海県城の外で外国人の居留地を作ることは、むろん元々はイギリス側の要望によるものであった〔。しかし、『第一次土地章程』で規定されている「華洋分居」などの条文からもわかるように、実質的には中国側が外国人の活動範囲を制限しようとした、一種の隔離政策でもあった〔。そして、このイギリス租界の成立の影響を受けて、1848年にアメリカ租界、その翌年にフランス租界がそれぞれイギリス租界の北側(呉淞江対岸である虹口一帯)と南の境界線であるの対岸に設置された〔。これら三つの租界が、そのまま「近代都市」上海の原型となった〔。ところが、「華洋分居」を原則とし、一定の自治権を持ちながらも、根本的には中国側の管轄下にあったこれらの租界は、設立から10年もたたないうちに、その性格を変えた〔。原因の一つが1853年9月に起きた秘密結社・小刀会の武装蜂起であり、農民軍の1年半にわたり上海県城を占拠したため、大量の難民が発生し、三つの租界に逃げ込んだ〔劉(2010年)19ページ〕。この突然の事態で、従来の「華洋分居」の原則が崩れ、「華洋雑居」の現実を中国側も受け入れざるを得なくなった。この新しい局面に対応するためという口実のもとで、1854年7月、イギリス領事オールコックは、米仏領事とは協議はしたものの、中国側には事後通告という形で、一方的に従来の『土地章程』を修正した『第二次土地章程』を公布した〔。この『第二次土地章程』には、イギリス租界の新たな境界の確定、租界内の中国人雑居の黙認、「巡捕」(警察)の設置が含まれていた〔。最も重要な変更は、三国領事による、「租主(借地人)会議」(市議会にあたる)の招集、その執行機関としての工部局の設置である〔。特に、工部局に「市政府」としての機能を持たせたので、その成立により、租界は中国政府の管轄から完全に離れ、自ら「自治」を始めた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上海租界」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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