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上田 次朗 (うえだ じろう、1947年7月6日 - )は、和歌山県田辺市〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、75ページ〕出身の元プロ野球選手(投手)。 縁起を担いで3回にわたって登録名を変更したことでも知られている〔『実録猛虎伝説』(歴史群像シリーズ, 学習研究社, 2003年10月)、73ページ〕。は上田 二郎、からは上田 二朗、からは上田 次郎を登録名とした。 == 来歴・人物 == === プロ入りまで === 和歌山県立南部高等学校のエースとして活躍し、3年生時のには夏の甲子園予選紀和大会の県予選準決勝〔準々決勝は、藤田平を擁し同年のセンバツで準優勝した市和歌山商を下していた。〕まで勝ち進むが、県和歌山商に敗退。甲子園出場を逸する〔。 東海大学に進学し、首都大学リーグでは在学中7度優勝。1年上の渡辺孝博投手との二本柱で活躍する。1年生の時、1966年春季リーグ戦で開幕投手を務め完投勝利した〔。1968年の明治維新百年記念明治神宮野球大会では首都大学選抜のエースとして出場、準決勝で大橋穣らのいた東都大学選抜を降す。決勝では東京六大学選抜の星野仙一、橘谷健(東大-川崎重工)両投手と投げ合い、田淵幸一らの強力打線を抑えて1-0で完封勝利。この優勝によって首都大学リーグの存在感が高まり、上田個人も各球団の注目の的となる。4年生になったには、春季リーグ戦では完全試合を達成し、全日本大学野球選手権大会では初優勝〔。この大会では2回戦で明大を降し、決勝では日大と対決。佐藤道郎投手と互いに無失点で投げ合い、9回表、谷口剛一塁手(住友金属)の決勝本塁打により3-0で快勝した。同年の第8回アジア野球選手権大会日本代表。リーグ通算51試合登板、39勝5敗、防御率1.30、393奪三振。39勝はリーグ記録。最高殊勲選手4回、最優秀投手4回、ベストナイン1回受賞。1試合17奪三振を2度記録した〔〔『猛虎の70年』(ぴあ, 2005年9月)、173ページ〕。同年のドラフト1位で阪神タイガースに入団〔。上田が即戦力となることを期待し、ドラフト会議で注目されていた三沢高校の太田幸司の指名を回避した上での指名だった〔〔『猛虎大鑑』(ベースボール・マガジン社, 2002年5月)、104ページ〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上田次朗」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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