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上遠野氏(かみとおのし)は、日本の氏族の一つ。 == 概要 == 応永11年(1404年)、藤井陸奥守政朝が軍功により陸奥国菊田庄上遠野郷を賜り、孫の秀時の代に日の沢城を築き城下の地名をとり上遠野氏を称したという。上遠野長秀は岩城常隆の娘を娶るなど岩城氏と姻戚関係を結び国人領主としての地位を維持していたが、次男の秀永は佐竹氏の赤館城奪取後、佐竹氏の家臣となり、一門の美濃守経秀は蘆名氏の配下として対佐竹戦線の武将となるなど、一門の多くは周辺諸勢力の配下に組み入れられていった〔但し、蘆名氏も佐竹義重の次男・義広を養嗣子に迎え、最終的には佐竹派となっている。佐竹氏が文禄4年(1595年)8月28日の「高野郡関係知行充行奉書目録」によれば上遠野美濃なる人物に佐竹氏の陸奥南郷領の一色なる地に70貫を給されているが、この上遠野美濃は経秀と同一人物か。 佐々木倫朗著「佐竹氏の陸奥南郷経営―戦国期から統一政権期にかけて―」『歴史人類 第5号』(筑波大学歴史人類学系、1997年3月)67頁、佐々木倫朗著『戦国期権力佐竹氏の研究』(思文閣出版、2011年) 232頁、233頁参照。〕。 また、なおも独立を維持していた上遠野惣領家は盟友・岩城氏が伊達氏に服従するに及び、帰農したとされる〔太田亮著、上田萬年、三上参次監修『姓氏家系大辞典 第1巻』(角川書店、1934年)1748頁、1749頁参照。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上遠野氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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