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ゲルマニア・スペリオル()は、ローマ帝国の属州の一つである。日本語では高地ゲルマニア、上ゲルマニアなどと訳される。東側にラエティア、西側にガリア・ルグドゥネンシス、北西にガリア・ベルギカおよびゲルマニア・インフェリオル(低地ゲルマニア、下ゲルマニア)、南はアルペス・ポエニナエの各属州およびイタリア本土と面していた。 ゲルマニア・スペリオルの領域は、現在のスイス西部、フランスのジュラ山脈やアルザス地域、およびドイツ南西部にあたる。州都はモングンティアクム(Moguntiacum、現マインツ)に置かれた。ライン川の中流域で、北の国境には長城(リーメス)が築かれた。 ==属州の歴史== ===ローマによる属州化=== 紀元前1世紀にガイウス・ユリウス・カエサルによって書かれたガリア戦記には、この地域についても多く書かれているが、そこに「ゲルマニア・スペリオル」または「ゲルマニア・インフェリオル」という言葉は使われていない。ゲルマニア・スペリオルを支配していたのは、元はケルト人で、そこにアリオウィストゥス(Ariovistus)率いるゲルマン民族がベザンティイオ(現ブザンソン)を攻略してライン川の北岸に駐留していたが、 紀元前58年にウォセグスの戦いでカエサル率いるローマ軍に敗れた。 ゲルマニア・スペリオルがローマの属州にされたのは、共和政の最後の数年間の頃である。タキトゥスの書いた『年代記』(3.41, 4.73, 13.53)には、 ゲルマニア・スペリオル属州のことが書かれている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ゲルマニア・スペリオル」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Germania Superior 」があります。 スポンサード リンク
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