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上都(じょうと、)は、モンゴル帝国(元)のクビライが、モンゴル高原南部(現在の内モンゴル自治区シリンゴル盟正藍旗南部)に設けた都。正藍旗の南のドロンノール県中心市街地から北西へ28km離れており、灤河上流の閃電河の河畔に位置する。上都鎮からは東北20km、北京からは北へ275km。元朝の夏の首都として使われた。 1275年に上都を訪問したマルコ・ポーロが『東方見聞録』に記録したことによりヨーロッパ人にその存在が知られるようになった。西洋ではザナドゥ(Xanadu あるいは Xanadumoo、Zanadu、Shangdu)とも呼ばれる。2012年、UNESCOの世界遺産に登録された。 == 概要 == 元の皇帝に即位する前、クビライは、契丹や金などの活躍の場となってきたドロンノール付近の金蓮川の草原にオルド(幕営)を構えていた(これは「金蓮川幕府」と呼ばれる)。クビライは一貫して金蓮川幕府から南宋征服の指揮をとっていた。 1256年に劉秉忠(子聡、後に大都の設計も手掛ける)に命じて金蓮川付近の閃電河の河畔に、王府となる開平府を建設させた。これが上都の始まりである。1279年に南宋が滅ぶと首都は南の大都(現在の北京)に遷され、開平府は名を上都と改められて陪都となり、夏に皇帝が避暑と政務をおこなう行宮とされた。 上都はほぼ正方形に近い形状をしており 、外側から、外城・内城・宮城の三つの方形の都城が存在した。また上都の東西には、東涼亭と西涼亭という狩猟用の行宮も存在した。 内城と宮城は線対称な配置になっており、後に建設された大都の平面計画に相似しているが、外城は内城・宮城の中心軸からずれた位置にあり形も対称ではない。おそらく劉秉忠は最初に内城と宮城を設計し、後になって大帝国の都にふさわしく拡大する際に外城を増設したと考えられているが、今後の考古学調査の結果が待たれる。 現在は草原の中に宮城の各宮殿の基壇や、内城の東の城壁の一部などが残っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上都」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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