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上野動物園クロヒョウ脱走事件 : ミニ英和和英辞書
上野動物園クロヒョウ脱走事件[うえのどうぶつえんくろひょうだっそうじけん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [じょう]
 (n,pref,suf) 1. first volume 2. superior quality 3. governmental 4. imperial 5. top 6. best 7. high class 8. going up 9. presenting 10. showing 1 1. aboard a ship or vehicle 12. from the standpoint of 13. as a matter of (fact) 13. superior
上野 : [うえの]
 【名詞】 1. section of Tokyo 
: [の]
 【名詞】 1. field 
: [どう]
 【名詞】 1. motion 2. change 3. confusion 
動物 : [どうぶつ]
 【名詞】 1. animal 
動物園 : [どうぶつえん]
 【名詞】 1. zoo 2. zoological gardens 
: [もの]
 【名詞】 1. thing 2. object 
: [その]
  1. (n,n-suf) garden (esp. man-made) 2. park 3. plantation 
脱走 : [だっそう]
  1. (n,vs) desertion 2. escape 
: [こと]
 【名詞】 1. thing 2. matter 3. fact 4. circumstances 5. business 6. reason 7. experience 
事件 : [じけん]
 【名詞】 1. event 2. affair 3. incident 4. case 5. plot 6. trouble 7. scandal 
: [くだん, けん]
 【名詞】 1. matter 2. case 3. item 

上野動物園クロヒョウ脱走事件 : ウィキペディア日本語版
上野動物園クロヒョウ脱走事件[うえのどうぶつえんくろひょうだっそうじけん]
上野動物園クロヒョウ脱走事件(うえのどうぶつえんクロヒョウだっそうじけん)は、1936年昭和11年)7月25日早朝、恩賜上野動物園で飼育されていたクロヒョウのメス1頭が脱走した事件である〔小森、53-57頁。〕〔小宮、111-113頁。〕〔『上野動物園百年史 本編』、137-142頁。〕。脱走したクロヒョウは約12時間半後に捕獲され、特段の被害もなかった〔。この事件は当時の人々に大きな衝撃を与え、同年に発生した「阿部定事件」、「二・二六事件」と並んで「昭和11年の三大事件」と評された〔〔〔
。なお、第2次世界大戦中に実施された上野動物園での戦時猛獣処分はこの事件の影響があったといわれる〔 北区役所ウェブサイト、2013年11月3日閲覧。〕〔吉村、40-43頁。〕。
== 経緯 ==

=== 事件の発生 ===
事件の「主役」となったクロヒョウのメスは、シャム(後のタイ王国)で捕獲された野生の個体であった〔〔〔『上野動物園百年史 資料編』、360-364頁。〕。このクロヒョウはシャムを経済使節として訪問した実業家の安川雄之助を通して贈られたもので、1936年(昭和11年)5月18日に川崎から陸揚げした後、上野動物園にトラックで運搬したものであった〔〔〔。クロヒョウは体長が4尺5寸(約1.364メートル)、体重14貫(約52.5キログラム)、年齢6歳といい、上野動物園の猛獣舎に収容されることになった〔〔〔〔。捕獲されてすぐに贈られてきたためにクロヒョウは環境にも人間にも馴染まず、寝室内の暗い隅にいることが多くて運動場にさえなかなか出ようとしなかった〔〔〔。
7月になると暑さが厳しくなり、クロヒョウは事件発生の10日前あたりから食欲不振となった〔〔。事件前日の7月24日、上野動物園主任技師を務めていた古賀忠道と飼育担当者は、クロヒョウの体調を気遣って夜間なら運動場に出るのではとの配慮から、その日初めて寝室と運動場の仕切り戸を開放したままにしておいた〔事件発生当時の上野動物園には「園長」という正式な職名はなく、古賀の肩書も「主任技師」であった。〕〔〔〔〔。飼育担当者は、その日の宿直当番になっていた〔。深夜の午前2時に巡回したときには、特段の異常を認めなかった。翌日の早朝、午前5時過ぎに飼育担当者が巡回した際、クロヒョウは姿を消していた〔。この事態を受けて直ちに職員約100人を動員しての捜索が行われたがクロヒョウの発見には至らず、動物園は臨時休園となった〔〔。
上野動物園は、上野警察署と上野憲兵分隊にクロヒョウ脱走を通報した〔。警視庁からは「新選組」という異名で呼ばれていた特別警備隊が出動し、赤羽にあった第一軍用犬養成所〔帝国軍用犬協会は日本警察犬協会の前身にあたる組織で、1932年(昭和7年)に設立され、1933年(昭和8年)、赤羽に第一軍用犬養成所を開設した。(養成所は後に武蔵境へ移転した)なお、帝国軍用犬協会は1945年(昭和20年)の終戦とともに消滅し、1947年(昭和22年)に日本警察犬協会として再出発している。〕〔〔日本警察犬協会 公益社団法人 日本警察犬協会ウェブサイト、2013年11月2日閲覧。〕と日本犬保存会からもそれぞれ2頭の犬が捜索用に駆り出された〔〔〔。捜索は猟友会の鉄砲組や警防団なども加えて、総勢700人余りが参加する大規模なものとなり、「戊辰戦争彰義隊以来の大騒動」と評されるほどの騒ぎとなった〔〔。
上野公園への一般市民の立ち入りは禁止され、厳戒態勢の中で捜索が続けられた〔。やがて、動物園と美術学校(後の東京芸術大学)の境界にある千川上水が開渠部分から暗渠部へと入っていく入り口付近で、クロヒョウの足跡と思われるものが発見された〔。捜索は上野公園内の暗渠部分に焦点が絞られ、公園内にあるマンホールの蓋を1つずつ開ける作業が始まった〔。
同日午後2時35分になって、上野公園の職員が東京府美術館(後の東京都美術館)と当時の公園事務所があった二本杉原という場所の間の小道にあるマンホールの下で、暗がりに光るクロヒョウの目を見つけた〔このマンホールがあった場所は、現在は東京都美術館の建物の下になっている。〕〔〔。この知らせを受けて、捕獲作戦が実行された。クロヒョウが暗渠の先に逃げないように、次のマンホールの下を障害物で塞いで退路を断った。暗渠の大きさに合わせて板の盾を作り、トコロテンを押し出す要領で暗渠内のクロヒョウを追い詰める計画を立てた〔〔。盾の中央部には穴をあけて、その穴に重油のたいまつを差し込んでクロヒョウを追い詰めるとともに煙でいぶし出すという作戦であった〔〔。この盾を押す役を受け持ったのは、上野動物園のボイラー係を務めていた原田国太郎であった。7月26日付の読売新聞記事は、原田は横須賀の重砲隊にいた頃に手に負えない荒馬を乗り鎮めて癖馬矯正大会で1等賞を獲得した経験があり、谷中地区の草相撲で大関を張っていると紹介している〔〔〔昭和11年7月26日の読売新聞記事では「國太郎」(上野動物園百年史 本編138ページ掲載)〕。
クロヒョウが発見されたマンホールの入り口は、蓋を外して代わりに檻を設置し、さらにその上を網で覆った〔〔。原田は足跡が見つかった暗渠部の入り口から暗渠内に入り込み、盾を押しながら奥へと進んでいった。逃げ場を失った上に煙でいぶされたクロヒョウは、ついにマンホールから飛び出し、午後5時35分に捕獲された〔〔。脱走発覚から捕獲まで約12時間半が経過し、クロヒョウも人間側にも全く被害は出なかった〔〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「上野動物園クロヒョウ脱走事件」の詳細全文を読む




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