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上野百貨店(うえのひゃっかてん)とは栃木県宇都宮市に存在した、北関東で初めて開業し、かつて宇都宮を代表した百貨店の一つである。 == 概要 == 上野房之助によって1895年(明治28年)に創業した「油屋呉服店」がルーツで、「上野呉服店」と改称した後、2代目上野小七が1929年(昭和4年)に馬場町支店で北関東最初の百貨店「上野百貨店」を名乗ったのが始まりである。 1945年(昭和20年)7月12日の宇都宮空襲により店舗焼失したが、同年9月には法人化して二荒山神社参道東側に店舗を再建し営業再開するなど積極的な事業活動を展開した。 東武宇都宮百貨店(1959年(昭和34年)11月/売場面積6,021m²)や福田屋百貨店(1962年(昭和37年)2月)の開店に対抗し、1964年(昭和39年)に新本館(売場面積4,800m²)、1969年(昭和44年)10月10日には東武を上回る規模の新館「新うえの」(売場面積9,300m²)を開設して合計売場面積を12,191m²とし、地域一番店としての地位を維持するなど1960年代は積極的な規模拡張でライバルに対抗した。 1970年代に入り、バンバ地区には1971年(昭和46年)6月に西武百貨店宇都宮店が開店して競争がさらに激化することになった。 福田屋は西武の開業に先手を打ち1971年(昭和46年)3月、売場面積10,000m²へ増床、東武も1973年(昭和48年)3月に市内で最大規模となる売場面積13,470m²へ増床して対抗した。 しかし、上野百貨店は1970年初頭に打ち出した本館の増築構想などが周辺商業者による反対で相次ぎ挫折して増床できなかった。1977年(昭和52年)、ついに売上高で東武に抜かれ地域一番店の地位を失うこととなった。 1985年(昭和60年)前後には「西口ビル」(宇都宮駅西口再開発事業)への進出を模索したものの実現せず、同地には1990年(平成2年)にロビンソン百貨店宇都宮店(売場面積25,252m²)が開業、一段と激しい競争に巻き込まれた。 1994年(平成6年)10月に福田屋が既存の都心部店舗を廃業して郊外に福田屋ショッピングプラザ宇都宮店(売場面積17,000m²)を開設、全国有数のモータリゼーション社会となった地域特性〔世帯当自動車保有台数は 1.25台と県庁所在地の都市では第3位と自動車の普及が進んでいる。出典:都市データパック 2002、東洋経済新報社〕〔宇都宮市が行ったアンケートによると、中心市街地への交通手段としては自家用車が 54.1%と最も高く、郊外への交通手段としても自家用車が 70.7%となっている。出典:宇都宮市民の目的地別交通手段、宇都宮市〕への対応を図り、東武が翌年1995年(平成7年)10月に売場面積32,633m²へ増床を図ったのに対して、上野百貨店は同年9月17日に本館での百貨店営業を終了して同年11月にテナントビル「T-ZONE」に改装、「新うえの」に百貨店事業を集約するなど縮小策で対抗せざるを得ず、全国の小売業年間販売額が1991年(平成3年)を境目にして減少に転じた小売不況の影響も受けて売上は減少の一途を辿った。 その後メインバンク・足利銀行の支援も受け1999年(平成11年)4月25日に大田原店(売場面積15,310m²)を開店し、宇都宮の都心依存からの脱却を図ったものの売上は目標に達せず、逆に52億円の投資負担が財務状況を一層圧迫する結果に終わった。 この大田原店の失敗を受け、2000年(平成12年)4月には足利銀行が新規融資を打ち切り、既存融資の継続のみに方針転換したため、新たな運転資金の借入ができなくなった。同年8月、売場を2フロアのみに集約して事実上宇都宮での百貨店営業から撤退して外商と大田原店の営業に集約したが苦境を脱せず、同年末12月20日に宇都宮地方裁判所に自己破産を申し立て、百年余りの歴史に終止符を打った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上野百貨店」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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