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上野 衣子(うえの きぬこ、旧姓:中村〔毎日新聞 2005年4月2日 大阪夕刊〕、1919年7月23日〔『'71 日本アマチュアスポーツ年鑑』ベースボールマガジン社 p.41〕 - 2013年12月5日)は日本の元フィギュアスケート選手、フィギュアスケートコーチ兼国際スケート連盟公式審判員、日本スケート連盟審判部長。大阪市出身。神戸女学院大学卒。長女は同じくフィギュアスケート選手でのちに審判員となった平松純子(旧姓:上野)である。 == 経歴 == 稲田悦子、山下艶子と同じく永井康三に師事した〔毎日新聞 2005年4月2日 大阪夕刊〕。1934-1935年シーズンに行なわれた第6回全日本ジュニア選手権で優勝。1936-1937年シーズンの第8回全日本選手権と1937-1938年シーズンの第9回全日本選手権でともに稲田悦子、月岡芳子に次ぐ3位〔フィギュアスケート歴代記録女子シングル (日本スケート連盟)〕、1938-1939年シーズンの第10回全日本選手権で2位となった。しかし、1940年に開催が予定されていた札幌オリンピックは東京オリンピックとともに開催を返上、さらに戦争悪化により代替地での開催も中止となりオリンピック出場は果たせなかった〔「兵庫人 挑む」神戸新聞 2007/06/24 〕。 戦後は、フィギュアスケートコーチとして活動した。 神戸フィギュアスケーティングクラブと神戸ポートアイランドフィギュアスケーティングクラブの設立に関わった〔大戦で中止の札幌五輪 幻のフィギュア代表のお別れ会 大盛周平 2014/4/14 神戸新聞 〕。のちに国際スケート連盟の公認審判員となった。1972年札幌オリンピックではアシスタントレフェリーを〔「女子フィギュアスケーティンゲ ジャッジ表」『第11回冬季オリンピック札幌大会フィギュアスケートプロクラム』〕、1980年レークプラシッドオリンピックでは審判員を務めた〔朝日新聞 1988年2月16日(23)「母娘二代の五輪審判」〕。神戸女子薬科大学の教授も務めた〔フィギュアスケート: 図解コーチ 著者紹介〕。 2013年12月5日、老衰のため死去〔【おくやみ】上野 衣子さん 兵庫県スケート連盟名誉会長、日本スケート連盟フィギュア名誉レフェリー 東京新聞 2013年12月6日〕。94歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上野衣子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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