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上野陽一 : ミニ英和和英辞書
上野陽一[うえのよういち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [じょう]
 (n,pref,suf) 1. first volume 2. superior quality 3. governmental 4. imperial 5. top 6. best 7. high class 8. going up 9. presenting 10. showing 1 1. aboard a ship or vehicle 12. from the standpoint of 13. as a matter of (fact) 13. superior
上野 : [うえの]
 【名詞】 1. section of Tokyo 
: [の]
 【名詞】 1. field 
: [よう]
  1. (adj-na,n-adv,n) way 2. manner 3. kind 4. sort 5. appearance 6. like 7. such as 8. so as to 9. in order to 10. so that 1 1. yang 1
: [いち]
  1. (num) one 

上野陽一 : ウィキペディア日本語版
上野陽一[うえのよういち]

上野 陽一(うえのよういち、1883年10月28日 - 1957年10月15日)は日本経営学者、産業心理学者。産業能率短期大学の創始者。フレデリック・テイラーによる科学的管理法を「能率学」と名付け邦訳し、日本における経営学の端緒を開き「能率の父」と呼ばれる。位階勲等正四位勲二等
== 経歴 ==
東京出身。1903年東京帝国大学(現在の東京大学)文学部哲学科に選科生として入学。心理学を専攻し、1907年に本科生となり1908年に卒業する。
その後、心理学研究から産業能率、科学的管理法の研究者となる。さらにアメリカからマネジメント思想と技術を導入、産業界に紹介し、日本最初のマネジメント・コンサルタントと言われる実績を残した。
1909年大槻快尊倉橋惣三菅原教造らと共に心理学通俗講話会の設立に参画した。
1922年財団法人協調会に設けられた産業能率研究所の所長に就任。1925年に協調会より分離独立し、日本産業能率研究所を設立。
1942年に同研究所を母体に日本能率学校を設立。
第二次世界大戦後は人事院人事官として公務員制度の確立に努める一方、1950年に日本能率学校を発展的改組させ、産業能率短期大学を設立した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「上野陽一」の詳細全文を読む




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