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上野頼久 : ミニ英和和英辞書
上野頼久[うえの よりひさ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [じょう]
 (n,pref,suf) 1. first volume 2. superior quality 3. governmental 4. imperial 5. top 6. best 7. high class 8. going up 9. presenting 10. showing 1 1. aboard a ship or vehicle 12. from the standpoint of 13. as a matter of (fact) 13. superior
上野 : [うえの]
 【名詞】 1. section of Tokyo 
: [の]
 【名詞】 1. field 

上野頼久 : ウィキペディア日本語版
上野頼久[うえの よりひさ]

上野 頼久(うえの よりひさ)は、戦国時代武将備中国松山城主。
備中上野氏河内源氏の流れを汲む足利氏の支流・上野氏の庶流。
室町幕府10代将軍足利義稙明応2年(1493年)、従弟の足利義澄に将軍職を追われて西国に落ち延びたが、永正8年(1508年)、再び将軍に返り咲き、翌永正6年(1509年)、備中の固めとして上野信孝を備中鬼邑山城に封じた。
信孝は後に一門の高直に鬼邑山城を委ね、頼久には同国松山城を預けて帰洛した。頼久は備中における勢力拡大に努め、その後嫡子・頼氏に松山城を譲り、次男・右衛門尉小松山城に入れてさらなる基盤を作り上げた。
また頼久は永正年間(1504年-1520年)、天柱山安国寺を再建するなどの功績を残した。なおこの安国寺は、後に同地を訪れた小堀政一により、再建者の名を冠した頼久寺と改称され現在にいたる。
よりひさ
category:戦国武将
category:備中国の人物
category:生年不明



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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