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上麻生ダム(かみあそうダム)は岐阜県加茂郡白川町、一級河川・木曽川水系飛騨川に建設されたダムである。 中部電力が管理する発電専用ダムで、高さ13.2メートルの重力式コンクリートダムである〔河川法では高さ15.0メートル以上をダムと定義しているため、これに満たない上麻生ダムは法律上では堰の扱いを受ける。〕。飛騨川流域における水力発電事業の中では初期の事業で、1926年(大正15年)に完成した歴史の古いダムである。下流の加茂郡七宗町(ひちそうちょう)にある上麻生発電所の取水元であり、2万7,000キロワットの電力を発生させる。また、独立行政法人水資源機構が管理する木曽川用水(上流部)の取水元でもあり、上流の岩屋ダム(馬瀬川)から放流された水が貯水池から取水され、岐阜県中部の上水道やかんがい用水にも利用されている。そして1968年(昭和43年)に発生した飛騨川バス転落事故の舞台にもなったダムでもある。土木学会選奨土木遺産に指定されている。 == 沿革 == 飛騨川流域の電源開発は、日本電力〔関西電力の前身〕と東邦電力〔中部電力の前身〕の二社が同時並行で進めていた。1919年(大正8年)6月、後に東邦電力に吸収される岐阜電力の前身・岐阜興業は飛騨川中流部の発電用水利権を取得。飛騨川第一・飛騨川第二・飛騨川第三の三発電所を建設する計画を立てた。このうち飛騨川第三発電所計画として選定されたのが、飛水峡の上流部にあたる加茂郡西白川村〔白川町の前身〕河岐地先、すなわち現在の上麻生ダム地点であった〔『飛騨川 流域の文化と電力』pp.540-543〕。 1922年(大正11年)岐阜電力は東邦電力と提携することになり、この時点で飛騨川第一発電所を金山発電所と改め、上麻生地点については飛騨川第二発電所に名称を変更し翌1923年(大正12年)6月8日に事業変更申請の許可を岐阜県より受けた。同時期、鉄道省〔後の国鉄。JR東海の前身〕が高山本線を上麻生駅まで開通させたことから、当初よりも着工を早めて1924年(大正13年)4月にダム及び発電所の工事に着手した。鉄道による物資輸送が工期の短縮に貢献し、当初の予定よりも1年4か月も早い1926年(大正15年)11月14日に完成させることができた〔『飛騨川 流域の文化と電力』p.544〕。上麻生ダム完成の同月、東邦電力社長・松永安左エ門は岐阜電力の権利義務をすべて取得し、事実上合併させた〔正式な吸収合併は1927年(昭和2年)10月のことである〕。 東邦電力はその後、発電所下流の下麻生地点に下麻生発電所を建設する計画を1928年(昭和3年)に立てたが立ち消えになっている。同時期東邦電力は上麻生ダムのほかに下原ダム(下原発電所。1万9,451キロワット)・大船渡ダム(金山発電所。6,425キロワット)・七宗ダム(七宗(旧・飛騨川第一)発電所。5,650キロワット)・名倉ダム(名倉発電所・1万9,678キロワット)・川辺ダム(川辺発電所・2万6,500キロワット)を相次いで完成させ、さらに飛騨川水系の発電所から放流された水を平均化して木曽川に流下させるための逆調整池として大同電力と共同で今渡ダムを木曽川本流に建設する計画を立てた。 ところが戦時体制の強化が国家の課題となり、電力を国家管理すべきという意見が軍部や官僚から強く出された。そして1938年(昭和13年)電力事業を国家が一元的に統制するための電力管理法が成立し翌1939年(昭和14年)日本発送電が発足。東邦電力は強制的に解散させられ上麻生ダムを含む飛騨川の全水力発電所は国家管理の下に置かれた。しかし太平洋戦争の敗戦後日本を占領・統治した連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は日本発送電を戦争に協力した独占資本として過度経済力集中排除法の第二次指定企業に1948年(昭和23年)指定し、1951年(昭和26年)の電気事業再編成令によって全国九電力会社に分割・民営化させた。そして木曽川水系の発電用水利権と発電施設は木曽川を関西電力が、飛騨川を中部電力が保有することになった。 こうして上麻生ダム・上麻生発電所は東邦電力が施工・完成させ、日本発送電による国家統制を経て戦後中部電力が管理を継承し、現在に至っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上麻生ダム」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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