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下元 克己(しももと かつみ(1941年7月20日 - )は、日本の漫画家。山口県宇部市出身。下元克巳とも表記。 劇画の寵児として多くの漫画家に影響を与えるが、寡作であり商業漫画家としての活動期間が短かった為、一般的な知名度は低い。 しかし現在も精力的に漫画関係者と交流し、業界内での知名度は高い。〔夏目房之介の「で?」2008年11月1日、現代マンガ図書館30周年記念パーティ! 2013年9月17日閲覧〕〔原田高夕己ブログ 『漫画のヨタ話』2013年06月22日日本漫画家協会賞・贈賞式 2013年9月17日閲覧〕〔藤子不二雄ファンはここにいる/koikesanの日記2012-12-30 トキワ荘通り協働プロジェクト有志による忘年会に出席 2013年9月17日閲覧〕 == 略歴 == 1965年、大阪のめばえ書房で短編を描いてデビュー。〔ゴキブリ野郎(若木書房)1970年版著者近影欄〕その後名古屋のセントラル出版や、上京し桜井昌一の誘いで東考社などの貸本漫画で複数の漫画作品を発表する。当時主流であった手塚治虫系列の漫画(トキワ荘)に対抗し国分寺に劇画家が集まり、〔「国分寺物語」 ’60国分寺村に集った若き劇画家たち 2013年9月18日閲覧〕〔原田高夕己ブログ 『漫画のヨタ話』2010年09月30日 国分寺劇画村 2013年9月18日閲覧〕さいとう・たかを、佐藤まさあき、辰巳ヨシヒロ、みやわき心太郎らと交友。一時漫画業から離れ新宿で清掃のアルバイトに従事。 1968年、講談社の週刊少年マガジンに「快男児ゴリ一平」を連載〔少年マガジン雑誌リスト 昭和34年~昭和45年 2013年9月17日閲覧〕、活動場所を貸本から週刊漫画誌に移行。その後、別冊マガジン、少年キングなどに作品を発表した。〔風かをるの独り言 下元克己作品 2011-08-14 2013年9月17日閲覧〕しかし週刊誌という形態が作品制作に適さず、商業漫画家としての活動を休止。現在に至る。〔忘れられた劇画界の寵児、下元克己先生かく語る「死ぬよりも、逃げて生きろ!」 2013年9月17日閲覧〕 2015年、辰巳ヨシヒロを描いた映画『TATSUMI マンガに革命を起こした男』の全国公開記念として、トークショーを京都国際ミュージアムにて同時期に活動した漫画家巴里夫とともに行う。〔〈劇画工房〉と初期劇画の時代~同時代を生きた作家が語る~ 2015年2月10日閲覧〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「下元克己」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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