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下地 一明(しもじ かずあき、1976年12月4日 - )は、日本の元バスケットボール選手、指導者である。沖縄県出身。 == 略歴・人物 == *北谷高校時代に全日本ジュニア代表に選ばれる。 *中央大学に進学し日本代表候補にも選ばれたが、マルファン症候群を発症し2度倒れる。病気と闘いながらもOSGフェニックスにて競技を続けたが、3度目の発症により2シーズンで引退。2001年よりフェニックスのコーチに転じる。 *2003年、ジェリコ・パブリセヴィッチヘッドコーチの元、日本代表のアシスタントコーチとなる。 *2004年、新潟アルビレックスBBの下部組織、新潟アルビレックスBB-A2のコーチに就任。寺下太基、小菅直人などの選手を育成した。2006年には新潟アルビレックスBBのアシスタントコーチに就任し、2009年退任。 *2011年2月、bjリーグ富山グラウジーズのヘッドコーチに就任。当時2010-2011シーズンの途中であったが、チームが東地区最下位に低迷し解任された衛藤晃平の後任となった。結局グラウジーズは最下位を脱することはできなかったものの、東日本大震災の影響により東地区の3チームが活動を休止したため、繰り上がってプレイオフに進出。浜松・東三河フェニックスに敗れファイナル進出はならなかった。2011-2012シーズンは東地区10チーム中5位に入り、チーム初となる自力でのプレイオフ進出に導いた。プレイオフではファーストステージで新潟アルビレックスBBに敗退。翌シーズンの続投要請を受けたが、病気を理由に固辞し、退任した〔北日本放送KNBニュース 、2012年6月20日14:49〕。 *2014年5月28日、bjリーグ埼玉ブロンコスのヘッドコーチ就任が発表された〔新ヘッドコーチ就任のお知らせ 埼玉ブロンコス 〕。シーズン前半は最下位に沈み、自身も病気療養のためチームから一時離脱、さらには主力外国人が都合により退団するなど苦難のシーズンとなったが、最終的に最下位脱出には成功した。シーズン終了後に退団。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「下地一明」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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