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下川手村(しもかわてむら)は、かって岐阜県稲葉郡にあった村である。 現在の岐阜市下川手、西川手、東川手、石切町、西明見町、東明見町、矢倉町、村里町、朝霧町、八坂町、正法寺町などに該当する。 南北朝時代から戦国時代にかけて、土岐氏の川手城があり、その城下町であった。この城下町は応仁の乱により都から逃げ延びた公家らが、当時の守護職で力のあった土岐氏を頼って移住したこともあり、大いに繁栄したという。 町村制で当村の発足時は厚見郡であったが、郡の合併で稲葉郡の村となっている。 == 歴史 == * 1353年(文和2年) - 土岐頼康により川手城が築かれ、川手に城下町が形成される。 * 1530年(享禄3年) - 川手城が廃城となる。廃城後も川手は斎藤道三等の加護で繁栄したが、織田信長の時代には衰退した。 * 江戸時代末期、この地は加納藩領であった。 * 1889年(明治22年)7月1日 - 町村制により、下川手村発足。 * 1896年(明治29年)4月18日 - 方県郡の一部、厚見郡、各務郡が合併し、稲葉郡となる。当村は稲葉郡の村となる。 * 1897年(明治30年)4月1日 - 領下村、上川手村と合併し、厚見村が発足。同日下川手村は廃止。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「下川手村」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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