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下川 誠吾(しもかわ せいご、1975年11月17日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー。 == 人物 == 桃山学院大学在学中の1996年にセレッソ大阪に加入。以来不動の守護神として君臨していたが、2003年に若手の多田大介にレギュラーを脅かされる。シーズン終了後に戦力外通告を受け、川崎フロンターレへ移籍。 2004年終盤に吉原慎也に代わってレギュラーとなる。J1昇格した2005年は序盤に負けが込んだことも災いして相澤貴志にポジションを奪われ、またしても戦力外通告を受ける。その後、正GK西川周作以外のGKが全て退団した大分トリニータに移籍。 2006年には主に西川の控えだったが、シーズン終盤に西川が負傷し、リーグ戦4試合に出場した。 2007年は西川の負傷やそれに伴うコンディション不良もあって、レギュラー奪取に成功し23試合に出場した。2008年は、序盤はナビスコ杯予選リーグ等に出番は限られリーグ戦では中々出場機会を得られずにいたが、9月13日の浦和レッズ戦にて西川が負傷してシーズン中の復帰が絶望となるとその後の穴を埋め、11月1日の清水エスパルスとのナビスコ杯決勝にも出場すると安定したセービングでチームの勝利に貢献。歴史的瞬間をピッチの上で迎えた。 2009年はリーグ戦は西川が全試合フル出場を果たした為プロ1年目以来の出場無しに終わり、ナビスコ3試合・天皇杯1試合の出場にとどまった。ただ、天皇杯2回戦横河武蔵野FC戦ではPK戦にて3本のシュートを止める活躍を見せ、勝利の立役者となった。 上記の通り、大分に移籍してから2009年までは基本的に西川の控えとしてベンチに座ることが多かったが、西川は世代別代表への選出や負傷離脱が多く、第2GKという立場でありながら出場機会は比較的多かった。 J2に降格し西川がサンフレッチェ広島に移籍した2010年は、背番号を1に変更。中盤まで正GKとして活躍するも、後半からは清水圭介の台頭により出場機会が減少。シーズン終了後に戦力外通告を受けた。 同年限りで現役を引退し、ヴィッセル神戸アカデミースクールコーチに就任。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「下川誠吾」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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