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下川 辰平(しもかわ たっぺい、1928年12月11日 - 2004年3月25日)は、日本の俳優。本名、下川 辰典(しもかわ ときふみ)。福岡県福岡市出身。 == 来歴・人物 == 画家を志し、武蔵野美術大学に入学するが、中退し帰郷。 1954年、ラジオ九州(現在のRKB毎日放送)の放送劇団に2期生として入団し俳優活動をスタート。 1964年に再び上京して文学座附属演劇研究所に入り、研究生を経て1968年に文学座座員に昇格。『飢餓海峡』(1972年)、『天守物語』(1974年)ほか多くの舞台に立ち、1976年9月に退座する。 1972年スタートの日本テレビ系列ドラマ『太陽にほえろ!』シリーズに、通称「長さん」こと野崎刑事役(設定は巡査部長の刑事)でレギュラー出演、一躍有名となる。以降、叩き上げの刑事役がはまり役となった。学生時代はラグビーをやっていたこともあり、走る姿などにその片鱗がうかがえた。『太陽にほえろ!』作中では、野崎家一家の出演やエピソードと言った「プライベート」に関してのストーリーが群を抜いて展開されていた。オフィシャル本によれば「『頑張って下さい。応援しています』と言ったファンレターと同時に、『親とうまくいかない』『子供とどう接すればよいか?』と言った悩み相談の手紙も多数寄せられた…役柄からですかね」といった旨の下川や番組スタッフの話が披露されている〔『太陽にほえろ!10周年記念号』(日本テレビ放送網編、1983年)97ページなど〕。 『太陽にほえろ!』の新人刑事第1号である萩原健一が、殉職シーンで「人が死ぬ間際には、どんな事を思ったり言ったりするのだろうか?」と悩んでいた時、下川は「戦争中の特攻隊員が故郷のお母さんの事を思い叫びながら、敵機に突っ込んでいった」とアドバイス。そのアドバイスを元に、萩原演じるマカロニ刑事の殉職シーンの最期の台詞が決定した(『太陽にほえろ! DVD-BOX』インタビューなどにて〔『太陽にほえろ!伝説 疾走15年私が愛した七曲署』(岡田晋吉 著、日本テレビ放送網 1996年)「第3章 マカロニとショーケン」より〕)。松田優作演じるジーパン刑事の殉職時の台詞「なんじゃあ、こりゃあ!?」も、松田が下川から聞いた、意味不明の絶叫をして亡くなった入院患者のエピソードが元になっている。(他にも、松田が下川のもとに来て、その際、イェジ・アンジェイェフスキの『灰とダイヤモンド』の話をしたことで、あの殉職シーンになったとも語っている〔『太陽にほえろ!伝説 疾走15年私が愛した七曲署』「第3章 風のように走り抜けた男・ジーパン」より〕。) 又、『太陽にほえろ!』でスニーカー刑事を演じた山下真司とは、1984年のTBS系列ドラマ『スクール☆ウォーズ』で再び共演し、下川は山城晋平校長を演じた。こちらでは、山下が演じる「泣き虫先生」を学園に招き、当時支配的だった「不良生徒は追い出せ」とは正反対の、「好き好んで不良になる生徒がいるだろうか?」という生徒目線の校長を演じて注目された。 黒澤明監督の『どですかでん』の出演で黒澤に気に入られ、その後の作品にも出演依頼を受けた。下川も受ける意思はあったにも関わらず、スケジュールの都合で出演はならなかった。その縁で黒澤死後に遺稿脚本から映画化された『雨あがる』に出演を果たしている。 その後もテレビや映画で活躍するが、晩年に病気のため福岡へ帰郷。 2004年3月25日、敗血症のため福岡市内の病院で死去。。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「下川辰平」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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