翻訳と辞書
Words near each other
・ 下根知村
・ 下案会議
・ 下桐原村
・ 下條よしあき
・ 下條アトム
・ 下條ユリ
・ 下條佳明
・ 下條信與
・ 下條信輔
・ 下條信近
下條信隆
・ 下條康麿
・ 下條村
・ 下條正巳
・ 下條正男
・ 下條由香里
・ 下條知之
・ 下條雄太郎
・ 下森定
・ 下椎切痕


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

下條信隆 : ミニ英和和英辞書
下條信隆[しもじょう のぶたか]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [した, もと]
 (adv) under (esp. influence or guidance)
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 

下條信隆 : ウィキペディア日本語版
下條信隆[しもじょう のぶたか]

下條 信隆(しもじょう のぶたか)は、江戸時代前期から中期の旗本大和国小泉藩の2代藩主の片桐貞昌の長男。父より石州流を相伝する。母が妾腹のため次男に準じて下條を称し、別家を建てて旗本となる。
== 生涯 ==
正保元年(1644年)、将軍徳川家光御目見する。慶安4年(1651年)、将軍徳川家綱に付いて御書院番になる。後に西城を経て、本城の勤務となる。承応元年(1652年)12月、米300俵を賜る。延宝2年(1674年)に父の遺領のうち1000石を分知されるが、先の300俵は返納される。この年幕命により禁裏造営の奉行を務める。この功績により同4年(1676年)、禁裏より花鳥和歌三十六歌仙手鑑明正院より扇子、後西院より色紙等を賜る。同5年(1677年)、江戸においても時服3領、黄金3枚を拝領。元禄2年(1689年)、御使番となり、布衣を着ることを許される。御先鉄炮の頭、御槍奉行を歴任。後に老年まで勤める功により、紅裏の服の着用を許される。
老年まで勤務したのは、後嗣に恵まれなかったことが考えられる。実子・長五郎がいたが多病を理由に相続できず、次いで石川義当の子の信澄を養子に迎えるが、信澄の兄・総乗の養子となるため実家に戻った。後年大久保忠直の四男・忠利(下條信近)を養子とし、ついに隠居できたと思われる。享保元年(1716年)に職を辞し、寄合に列す。4月朔日死去。享年92。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「下條信隆」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.