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下淡水渓鉄橋(かたんすいけい-てっきょう)は、台湾の高屏渓(旧称:下淡水渓)に架かる鉄道橋で、台湾鉄路管理局屏東線の九曲堂駅と六塊厝駅の間にある。高屏旧鉄橋とも呼ばれる。日本統治時代に日本人技師の飯田豊二が設計し建設されたもので、1914年に供用された。 == 建設の背景 == 1911年初頭、高雄港での軍事物資と人員の輸送増加、屏東平原で生産された砂糖製品の輸送の増加、平原上の豊富な生産物の開拓のため、台湾総督府は鉄橋の建設を開始した。 高屏渓の川幅は広く流れも急であり、建設は難航を極めた。しかし阿猴城(現屏東市)の人口や商業交易規模が拡大し、さらに製糖工場の規模と生産量が相当なものであったことから、総督府は早急な建設を促した。 こうして鉄橋は台湾総督府の日本人技師飯田豊二が策定した工期を3年とする計画の下、1913年末に竣工した。総工費は当時の金額で130万円あまりであった。工事期間中、何度も豪雨や増水に見舞われ、飯田は疲労の蓄積から病に倒れてしまい、鉄橋の完成を目前にした1913年6月10日、台南医院でこの世を去った。友人の小山三郎らによって遺墨が作られ、九曲堂駅横に埋められるとともに、資金を集めて記念碑が建立された。 1913年12月20日、阿猴駅(現屏東駅)と九曲堂駅の間が開通し、翌1914年2月15日には打狗駅(現高雄港駅)までが正式に開通した。当時の台湾総督である佐久間左馬太が出席している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「下淡水渓鉄橋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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