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下田 広氏(しもだ ひろうじ)は、戦国時代の丹波の国人領主。広親(ひろちか)とも称した。本姓は秦氏で、秦河勝の後裔とされる〔家伝(『寛政重修諸家譜』編纂時の呈譜等)によれば、下田美作守広氏は秦河勝(広隆)より32代目の嫡流とされる。しかし、『寛永諸家系図伝』には、広隆と美作守某(丹波国の住人)は「此間断絶す」とある。〕。 == 生涯 == 下田氏(川勝氏)は丹波国桑田郡・船井郡内を知行し、室町幕府に仕えてきた。下田広氏は10代将軍足利義材、11代将軍足利義澄に仕えた。家伝によれば、下田広氏は秦河勝(広隆)より32代目の嫡流とされる。丹波国桑田郡下田に住んでいたので下田を称した。『寛永諸家系図伝』、『寛政重修諸家譜』ともに、この人物から幕臣川勝氏の系図は始まっている。 先の応仁の乱では、幕府の管領を務めた細川勝元に従って、下田氏(川勝氏)は他の国人衆とともに合戦に参加した。下田広氏は丹波の有力な国人領主であったことが窺われる。15世紀末期 - 16世紀初期を生きた人物。生没年不詳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「下田広氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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