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下総三浦藩(しもうさみうらはん)は、下総国に存在した藩。藩主家は三浦氏。石高は1万石→1万3000石→1万石。 == 概要 == 天正18年(1590年)8月、徳川家康が関東に移封されると、家康の家臣である三浦重成は上総国山辺郡、下総国印旛郡などに1万石の所領を与えられ、下総三浦藩を立藩した。藩庁は初め本佐倉城後に大網城に移ったとも言われるが詳細は不明。 重成は豊臣姓を下賜され、慶長7年(1602年)には家康から3000石の加増を受けている。しかし重成は男児に恵まれず、阿部正次の子・重次を娘婿に迎えて後継者にしようとした。重次は大坂の陣では、重成の代理として参加している。 しかし老齢になって、重成に実子の三浦重勝が生まれたため、重次は後継者の地位を辞退する。そのため重成は、重次に近江国浅井郡3000石の所領を分与し、分家を立てさせた。しかし寛永8年(1631年)、重勝が継嗣のないまま死去したため、三浦氏は無嗣改易となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「下総三浦藩」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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