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大腸内視鏡(だいちょうないしきょう)は、肛門より挿入し、直腸から結腸もしくは回腸末端にかけて、診断・治療を行う器具としての内視鏡、もしくは手技のこと。英語では器具は"colonoscope", 手技は"colonoscopy"と綴りが異なるが、日本では同じ語句を用いることが一般的である。 == 歴史 == 大腸内視鏡の歴史は3つの段階に分けられる。第1段階は機器の開発である。開発者は東大の丹羽、弘前大の松永、東北大の山形である。 第2段階は挿入法の開発である。弘前大学の田島強が世界で初めて盲腸まで挿入する方法を確立した〔長廻紘:第11回 コロノスコープの挿入(1) エーザイ パリエット〕。今日、多くの専門家が田島を開発者と認識している。その後、ドイツのデイレ、アメリカの新谷弘実によりSDJでループを解除するという一人法が開発され、これが今日の標準的手技となっている。 第3段階は治療=ポリペクトミーの開発である。1968年、東大の丹羽、常岡により高周波スネアーが開発され、胃のポリペクトミーが成功した。そして1969年、オリンパスの一人の社員を通じてスネアーがアメリカの新谷に渡り大腸ポリペクトミーが成功した。1968年になぜ、日本で大腸ポリペクトミーがおこなわれなかったのかには、いくつかの理由があるが、1968年の東大紛争による研究の中断と、当時の日本では大腸癌が多くなく重視されなかった事情の2点が大きいといえる。いずれにせよ、「切るだけで縫合しない」大腸ポリペクトミーが手術として「完成」したのは1970年代以降に内視鏡による縫合技術(クリップ)が林、蜂巣により開発されてからである〔長廻紘:コロノスコープの開発 エーザイ パリエット〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大腸内視鏡」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Colonoscopy 」があります。 スポンサード リンク
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