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下野国(しもつけのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。 == 「下野」の由来と読み == ; 毛野地域の変遷 古代関東には「毛野(けの/けぬ)」および「那須(なす)」と呼ばれる政治勢力が存在し、前者が上下に二分されて「上毛野(かみつけの/かみつけぬ)」・「下毛野(しもつけの/しもつけぬ)」となったといわれる〔『世界大百科事典』(平凡社)毛野(けぬ)項。〕〔『国造本記』(『先代旧事本紀』第10巻)下毛野国造条。〕。毛野の起こりについては、『常陸国風土記』によると筑波はもともと紀の国であるといい、この紀の国と毛野が同一かは不詳だが、「毛野河」は筑波西部の郡の境界とある。また『続日本紀』では毛野川は古くから常陸国と下総国の境界であると記されているなど、毛野と毛野川(現在の鬼怒川)の深い関わりがうかがわれる。『上野名跡志』では下野国河内郡衣川郷が毛野という国名の由来と推察されている。 国名の上下については、上総国と下総国などと同様、一国を「上」と「下」に二分したものとされるが、備・越・筑・豊・肥などのように前後に分けられた国との違いは不詳である〔レファレンス協同データベース - 栃木県立図書館回答 。〕。またこの分裂は史書に無く詳細は不明で、古くより議論がある(「毛野#毛野の分裂」を参照)。 『大宝律令』の制定にあたっては、下毛野の領域に那須の領域(栃木県北東部)を合わせ、「下毛野国(しもつけののくに/しもつけのくに)」として上毛野国とともに令制国の1つに定められたとされる〔『日本の地名 栃木県の地名』(平凡社)下野国節。〕(那須統合の時期は明らかとなっていない)。その後、下毛野国・上毛野国の国名は「下野国」・「上野国」に改名された。この際、「毛」の字は消えたものの「しもつけのくに」として、読みにその名残をとどめている。 「下野」の初見は『日本書紀』天武天皇5年(676年)5月条である〔。また、藤原宮跡出土木簡には大宝3年(703年)に「下毛野国」の記載があり、律令制施行後の初見である〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「下野国」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Shimotsuke Province 」があります。 スポンサード リンク
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