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下野小野寺氏 : ミニ英和和英辞書
下野小野寺氏[しもつけおのでらし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [した, もと]
 (adv) under (esp. influence or guidance)
下野 : [げや, しもつけの]
  1. (n,vs) retirement from public office 
: [の]
 【名詞】 1. field 
: [てら]
 【名詞】 1. temple 
: [うじ]
 【名詞】 1. family name 2. lineage 3. birth 

下野小野寺氏 : ウィキペディア日本語版
下野小野寺氏[しもつけおのでらし]

下野小野寺氏(しもつけおのでらし)とは、鎌倉時代の頃御家人として下野国都賀郡小野寺村(現・栃木県栃木市岩舟町小野寺)において勢力を誇った豪族小野寺氏の嫡流である。本姓は藤原氏とされるが守部氏ともいう。家系秀郷流山内首藤氏庶流にあたる。本項では、嫡流である下野小野寺氏について述べる。
下野国は小野寺氏の発祥地であり、当地の小野寺氏が嫡流。かなり早い時期から多くの分流を生み出し、庶流として後に実質的な小野寺氏の宗家となる出羽国仙北三郡に割拠した戦国大名となった仙北小野寺氏があり、さらに新田小野寺氏、出羽小野寺氏などがある。それらと区別するため本貫の下野の地名を付けて下野小野寺氏と呼ばれる。
下野小野寺氏の家紋は元々は嫡流を示す「一文字に六葉木瓜」であるが、その家紋は後に実質的な宗家となった仙北小野寺氏が使用するようになり、下野小野寺氏は「六葉木瓜」を使用するようになる。
居城は小野寺城であり、保元元年(1156年)に小野寺義寛によって築かれた。 明治時代には土塁の一部も残っていたが、東北自動車道建設のために破壊された。現在は跡地に城跡碑がひっそりとあるのみである。
== 概要 ==
小野寺氏は小野寺義寛を祖とし、平安時代後半に源氏譜代の家人として源為義より下野国都賀郡小野寺七ケ村を与えられ、「一所懸命」の地として土着して小野寺を称したのが始まりと言われている。文治5年(1189年)の奥州合戦よる戦功でに出羽雄勝郡などの地頭職を得た。小野寺通綱征夷大将軍源頼朝の信任厚く、以降も歴代将軍に近侍している。その為、各地の所領には庶流の子弟を代官として派遣し、通綱は下野国の本領に帰り、鎌倉に常駐し出仕していたと見られる。
小野寺氏嫡流である下野小野寺氏はその後も関東の下野国に居住し、小野寺の地に拠っていたが、小野寺通氏の跡を庶流である出羽小野寺氏の小野寺通義の子小野寺顕通が養子に送り込まれ、実質的には小野寺嫡流も庶流である出羽小野寺氏の流れとなった。
室町時代には、小野寺道業の子小野寺朝道中務少輔を称していたといわれ、永享10年(1438年)に発生した永享の乱では、小山持政とともに足利持氏方に加勢した。また、宝徳2年の江ノ島合戦では扇谷上杉氏上杉顕房方として参戦し、同年8月3日付の感状が伝わっている。道業の孫小野寺通古の頃、下野小野寺氏は弱体化の一途をたどり、佐野氏から養子として小野寺朝綱を迎え入れて挽回を図った。また、古河公方足利政氏が佐野氏を通じて下野小野寺氏に加勢するよう促した文書もある。このことから、下野小野寺氏は足利高基方についた宇都宮成綱結城政朝小田政治らと足利政氏方についた小山成長佐竹義舜らが対立した古河公方の内紛では政氏方についたと考えられる。
戦国時代後期、小野寺長綱兵部丞中務少輔を称していたといわれ、足利長尾氏佐野氏の配下にあったらしく、足利城長尾景長の代官として北条氏康に加勢し、感状を賜っている。嫡男の小野寺景綱長尾景長から「景」の一字を賜り景綱を名乗った。寺岡(佐野市)の代官であったといわれ、永禄3年(1560年8月2日、佐野氏15代当主佐野昌綱に寺岡の百姓らの年貢諸公事の上納確保を命じられている。慶長年間には領地を没収され、浪人となり川崎村に居住していた。
後に徳川家康の命によって川崎村に新たな領主がやってくると、百姓らは領主に対する不満を年貢遅納、滞納・訴訟というかたちで表すようになり、代官は領民が旧領主下野小野寺氏を信望することを領主へ訴えた。領主は家康に讒言し、後に景綱は疑いをかけられ自刃してしまう。こうして下野小野寺氏は歴史上から姿を消した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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