翻訳と辞書
Words near each other
・ 下長
・ 下長岡駅
・ 下長智子
・ 下長瀬駅
・ 下長田駅
・ 下長者町通
・ 下長苗代村
・ 下門
・ 下閉伊郡
・ 下間仲世
下間仲之
・ 下間仲孝
・ 下間仲玄
・ 下間宗清
・ 下間家
・ 下間少進
・ 下間氏
・ 下間真頼
・ 下間蓮宗
・ 下間蓮崇


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

下間仲之 : ミニ英和和英辞書
下間仲之[した, もと]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [した, もと]
 (adv) under (esp. influence or guidance)
: [けん, ま]
 【名詞】 1. space 2. room 3. time 4. pause 
: [なか]
 【名詞】 1. relation 2. relationship 
: [これ]
 (int,n) (uk) this

下間仲之 ( リダイレクト:下間仲孝 ) : ウィキペディア日本語版
下間仲孝[しもつま なかたか]
下間 仲孝(しもつま なかたか、天文20年(1551年) - 元和2年5月15日1616年6月28日))は、日本戦国時代末期から江戸時代初期の武将本願寺坊官猿楽をよくし、猿楽の伝書や演能記録を残している。下間頼照の子。母は定専坊了宗の娘。妻は下間光頼の娘。子に仲世仲此
別名は下間少進(しもつましょうじん)。仲之(ちゅうし)、頼之仲康ともいう。幼名は千代寿、法名は性乗、猿楽の芸名は素周である。

== 経歴 ==
織田信長との石山合戦で10年にわたって各地に転戦して門徒を指導、天正8年(1580年)、本願寺が信長と勅命講和を結んだ時、講和条約署名3名の1人となる(他の2人は下間頼廉下間頼龍)。以後は顕如に従って講和が結ばれた後も織田軍に抵抗する各地の一向門徒の収拾に奔走、顕如の死後は准如に従った。だが、関ヶ原の戦い後は嫡男仲世が石田三成の友人だった事から准如の西軍加担疑惑が持ち上がり、仲世を廃嫡して仲孝自身も謹慎している。慶長7年(1602年)に謹慎が解除され、本願寺東西分裂では准如の西本願寺に従った。
元和2年(1616年)、66歳で亡くなり、5男の仲此が後を継いだ。子孫は少進家と呼ばれ、西本願寺の重臣となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「下間仲孝」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Shimozuma Chuko 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.