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不破郡(ふわぐん)は、かつて美濃国に属し、現在は岐阜県に属する郡である。美濃国と岐阜県の西端にある。歴史的には畿内と東海道・東山道諸国を結ぶ交通・軍事上の要地で、古代には不破関が置かれた。 以下の2町を含む。 * 垂井町(たるいちょう) * 関ケ原町(せきがはらちょう) == 歴史 == 7世紀に置かれた。初見は『日本書紀』斉明天皇6年(660年)10月条にあり、百済から唐の捕虜100余人が献上されたことにつき、「今の美濃国の不破・片県二郡の唐人たちである」とある。今とは書紀の編纂時の8世紀初めを指すので、660年に不破郡があったという証拠にはならない。不破に郡があったことがわかる最古の記事は、天武天皇元年672年である。この年の壬申の乱のとき、6月27日に不破に入った大海人皇子(天武天皇)が郡家の近くで高市皇子の出迎えを受けた。不破は大海人皇子が東国から集めた軍勢の集結地になった。ここでいう郡は書紀が編纂当時の制度にあてはめて書いたもので、はじめは不破評として置かれ、大宝元年(701年)に他の評とともに郡に改められた。 別に、不破郡が当芸郡(多芸郡)から分割されたとする説もある〔田中卓「不破の関をめぐる古代氏族の動向」156-159頁〕。『古事記』には倭建命が当芸野上に到ったとする記述があり、通説は「当芸野の上」と読むが〔『古事記』岩波文庫版126頁。〕、不破郡の野上にあてれば野上がかつて当芸に属していたと解すことができる。また、不破氏に伝わる系譜が、壬申の乱の直後に当芸郡から不破郡が分割されたと伝える〔田中卓「不破の関をめぐる古代氏族の動向」157頁に『不破家寿麻呂家譜』の一部の紹介がある。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「不破郡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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