|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 田 : [た] 【名詞】 1. rice field ・ 準 : [じゅん] 1. (n,pref) level 2. apply correspondingly 3. correspond to 4. being proportionate to 5. conforming to 6. semi 7. quasi 8. associate 9. standard 10. rule 1 1. aim ・ 一 : [いち] 1. (num) one
与田 凖一(よだじゅんいち、1905年6月25日〔戸籍上は8月2日出生。〕 - 1997年2月3日)は、日本の児童文学者・詩人。昭和期の日本の児童文学界において指導的役割を担った。作詞家を担当、巽聖歌らと親交を結びその後も本格的な執筆活動を開始し、1929年に初の童謡集「旗・蜂・雲」を出版した。 橋本淳の父。與田凖一の表記もある。 == 経歴 == 1905年、福岡県山門郡瀬高町(現在のみやま市瀬高町)上庄に浅山与太郎、スエの次男として生まれた。翌年、親戚の与田家の養子となり、以降は与田姓を名乗った。養父母を相次いで亡くしたため、実家である浅山家で育つ。 筑後市で小学校教員として働きながら、同郷の北原白秋に師事した。健康上の理由で職を辞して上京し、赤い鳥の編集を 1950年から1960年まで日本女子大学で講師として児童文学を講じ、1962年より日本児童文学者協会の第6代会長を務めた。1967年、「与田凖一全集」でサンケイ児童出版文化賞、1973年、「野ゆき山ゆき」で野間児童文芸賞を受賞した。門下には、まど・みちおをはじめ岩崎京子、生源寺美子、あまんきみこらがいる。日本ペンクラブ会員も務めた。 郷里のみやま市瀬高町の清水寺には与田の詩碑がある。また、毎年10月には「与田凖一児童文学祭 むっきっきまつり」が催されている。〔みやま市立図書館「郷土の人物:與田凖一」 〕 2009年10月、みやま市に与田の功績をまとめた記念館が作られた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「与田凖一」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Jun'ichi Yoda 」があります。 スポンサード リンク
|