翻訳と辞書
Words near each other
・ 与瀬町
・ 与瀬駅
・ 与点
・ 与猶啓至
・ 与田仁志
・ 与田凖一
・ 与田剛
・ 与田剛士
・ 与田寺
・ 与田尚志
与田準一
・ 与田純次
・ 与田順欣
・ 与真司郎
・ 与祢
・ 与良ヱ
・ 与良松三郎
・ 与良正男
・ 与芝由三栄
・ 与蔵峠


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

与田準一 : ミニ英和和英辞書
与田準一[いち]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [じゅん]
  1. (n,pref) level 2. apply correspondingly 3. correspond to 4. being proportionate to 5. conforming to 6. semi 7. quasi 8. associate 9. standard 10. rule 1 1. aim
: [いち]
  1. (num) one 

与田準一 ( リダイレクト:与田凖一 ) : ウィキペディア日本語版
与田凖一[よだじゅんいち]

与田 凖一(よだじゅんいち、1905年6月25日〔戸籍上は8月2日出生。〕 - 1997年2月3日)は、日本の児童文学者詩人昭和期の日本の児童文学界において指導的役割を担った。作詞家を担当、巽聖歌らと親交を結びその後も本格的な執筆活動を開始し、1929年に初の童謡集「旗・蜂・雲」を出版した。
橋本淳の父。與田凖一の表記もある。
== 経歴 ==
1905年、福岡県山門郡瀬高町(現在のみやま市瀬高町)上庄に浅山与太郎、スエの次男として生まれた。翌年、親戚の与田家の養子となり、以降は与田姓を名乗った。養父母を相次いで亡くしたため、実家である浅山家で育つ。
筑後市で小学校教員として働きながら、同郷の北原白秋に師事した。健康上の理由で職を辞して上京し、赤い鳥の編集を
1950年から1960年まで日本女子大学で講師として児童文学を講じ、1962年より日本児童文学者協会の第6代会長を務めた。1967年、「与田凖一全集」でサンケイ児童出版文化賞、1973年、「野ゆき山ゆき」で野間児童文芸賞を受賞した。門下には、まど・みちおをはじめ岩崎京子生源寺美子あまんきみこらがいる。日本ペンクラブ会員も務めた。
郷里のみやま市瀬高町の清水寺には与田の詩碑がある。また、毎年10月には「与田凖一児童文学祭 むっきっきまつり」が催されている。〔みやま市立図書館「郷土の人物:與田凖一」
2009年10月、みやま市に与田の功績をまとめた記念館が作られた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「与田凖一」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Jun'ichi Yoda 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.