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与那城御殿(よなしろ、よなぐすくうどぅん)は、尚質王の七男・尚弘善、宜野湾王子朝義(1658年6月3日(順治15年5月3日) - 1694年6月1日(康煕33年5月9日))を元祖とする琉球王族。第二尚氏の分家で琉球王国の大名。琉球王国末期に与那城間切(現・うるま市与那城地区)の按司地頭を務めたことから与那城御殿と呼ばれる。 与那城御殿は、領地替えにともない何度か家名が変わっている。七世・朝武が早世したため、分家の小波津家から与那城王子朝紀を養子に迎えた。朝紀ははじめ仲里按司朝紀と称したが、1861年に摂政に任命され与那城王子と称した。八世・朝知のときに廃藩置県を迎えた。 == 系譜 == * 一世・尚弘善・宜野湾王子朝義 * 二世・不詳 * 三世・向文明・玉川按司朝雄 * 四世・尚全徳・玉川王子朝計 * 五世・向天保・玉川按司朝英 * 五世・玉川按司朝愛 * 六世・向思謙・玉川按司朝祥(与那城御殿支流、向氏小波津殿内五世・小波津親方朝虎の五男。朝愛の養子となる。実父朝虎は四世・朝計の息子で小波津家へ養子。) * 七世・波平按司朝武 * 七世・与那城王子朝紀 * 八世・与那城按司朝知 * 九世・与那城朝俊 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「与那城御殿」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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