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株式会社与野フードセンター(よのフードセンター)は、埼玉県さいたま市内を中心に食品スーパーマーケットを展開する、さいたま市中央区の非上場企業である。 == 概要 == 1960年(昭和35年)に市議会議員の井原弥一郎と代議士秘書の正野三郎が「ダイエー中内氏の“店は客のためにある”という主婦の店運動に共鳴して」与野市において創業したのが始まりである。 地場系の中小スーパーマーケットで構成されるボランタリーチェーン「セルコチェーン(全国セルコグループ)」の代表を正野三郎が1993年(平成5年)に勇退するまで務め、2007年(平成19年)5月31日から井原實が本部機能を担っている日本セルコ社長とセルコチェーン副理事長に就任しているセルコチェーンの中核企業の1つである。 関東セルコに所属している。 井原弥一郎没後は正野三郎らによる経営を経て、東芝でコンピュータ(ミニコン・サーバー)の研究技術者をしていた創業者長男の井原實が1996年(平成8年)7月1日に副社長で入社し、1998年(平成10年)10月26日に代表取締役社長に就任した。 2008年(平成20年)10月に井原實が会長に退いて植松秀夫代表取締役副社長が昇格し代表取締役社長となったが、2011年(平成23年)1月15日付で植松秀夫が病気で退任したため井原實が代表取締役社長に復帰した。 昭和50年代初めに駅前立地で出店した現在の食品スーパーの標準から見ると小規模な店舗を多数展開したため〔、1995年(平成7年)8月期中に小型店を1店閉鎖し〔、1995年(平成7年)7月1日に18年間営業してきた既存店を高品質・高鮮度、低価格を両立させた大型食品スーパー業態に転換してYバリュー七里店として新装開店した〔のを皮切りに既存店の業態転換を進めたほか、草加店を開店したのを皮切りに1997年(平成9年)12月13日に宮原西口店を開店するなどYバリュー業態の新規出店も行って新たな主力業態としての展開を進めていった。 Yバリューの業態よりも小規模な店舗についても、1996年(平成8年)12月6日に赤山店を90坪強から140坪に増床する改装を行ってYバリュー業態の思想を取り入れた小型店の新業態「彩鮮館」に業態転換した〔のを皮切りに、その後に改装した久喜店や和戸店でも与野フードの店名は変更しなかったもののその思想を取り込んだ「ミニバリュー店」とし〔、1998年(平成10年)にも4店舗を「彩鮮館」に転換する〔など小規模な店舗の改装による活性化を進める〔と共に不採算店の閉鎖も進め、1999年(平成11年)8月には全30店舗中バリュー業態が15店舗と半数を占めるまでになった。 こうした店舗の置き換え(スクラップアンドビルド)による営業力強化策の効果により、1998年(平成10年)8月期には売上高約350億円の増収増益となった〔。 低価格路線のYバリュー業態に生鮮・日配品の専門性を高めて味の良さと選択の幅を強調する新業態「バリュー・フードガーデン」の1号店として1999年(平成11年)3月27日に宮原東口店を開業し、主力業態のYバリューでも地方中小メーカーのこだわり商品を扱うなど商品の選択の幅を広げる商品力の強化を図り、1999年(平成11年)8月期は売上高387億円を目指していたが、前年比で売上増は確保したものの目標は未達成となった〔。 1999年(平成11年)10月23日に関西系スーパーのイズミヤが核店舗となっている栃木県小山市のJR小山駅前にある商業ビル内にバリュー・フードガーデン小山店を開業し、埼玉県外へ初めて進出するなど出店地域の拡大を図り、2000年(平成12年)3月に北足立郡伊奈町に雪印アクセス(現在の日本アクセス)に運営を委託して一括物流センターを稼動させて、各店舗での検品を廃止すると同時に毎日発注・毎日納品へ切替えることで店頭在庫を約40%削減するなどチェーン店としての強みを生かした合理化を図った。 しかし、2000年(平成12年)8月期は来店客数が増加したにも拘らず、客単価が前期比5%減と落ち込んだため売上高約344億円と売上が減少に転じることになった。 「キッチンサポートコーナー」や店内で食事が出来る「イートインコーナー」など新たなサービスコーナーを導入すると共に、ドラッグストアマツモトキヨシの併設やNTTドコモの携帯電話によるインターネット接続サービス「iモード」での情報提供などの新たな取組みを盛り込んだフードガーデン新座店を2000年(平成12年)9月14日に埼玉県新座市に開業し、「iモード」の活用がスーパー業界では先駆的な試みとして注目を集めた〔。 しかし、小規模な店舗が競合で劣勢になって苦戦するなどしたため2001年(平成13年)8月期は前期比6.5%減の売上高約321.7億円へ売上が一段と落ち込むことになった。 そのため、惣菜・半調理品などの中食やミールソリューションと呼ばれる分野の強化や低価格商品とこだわり商品の拡充、店舗大型化と新規出店などの対策を進める2002年(平成14年8月期からの中期四か年計画を立て、2006年(平成18年)8月期に店舗数34店で売上高390億円を目指した。 その一環として2004年(平成16年)2月10日に初の自社開発製品(プライベートブランド)50品目を発売したほか、ポイントカードから得られた販売状況の情報をメーカーと共有化する「YF共同マーケティング研究会」を発足させたり〔、店長に権限を大幅移譲する〔など地域に密着した店舗作りを目指す取組みを進めた。 2004年(平成16年)4月15日にはさいたま市西区佐知川にドラッグストアのマツモトキヨシや100円均一店のキャンドゥと同一敷地内に出店したフードガーデン大宮佐知川店を開業するなど2004年(平成16年)8月期に「フードガーデン」3店を開業する一方で小型店1店を閉店するなどの対応を採ったが、競合他社の出店攻勢の影響で既存店売上が上期が7%減で下期が4%減となったため2004年(平成16年)8月期の売上高は約275億円へと落ち込むことになった〔。 こうした競争激化に対応するため2005年(平成17年)8月期に小型店中心に7店の閉鎖して期末時点で24店にまで店舗網を縮小して埼玉県内に経営資源を集中し、売上高も前期比11%減の約250億円にまで事業規模を縮小することになった。 こうした事業縮小による経営建て直しを進めたため〔、2005年(平成17年)3月4日にフードガーデン日進店を開業した後2010年(平成22年)2月26日に5年ぶりの新店舗となったフードガーデン北与野店を開業して出店を再開するまで新規出店を凍結し〔、2010年(平成22年)2月時点で22店舗へと店舗網を縮小することになった〔。 平仮名の「よ」と、八分音符「♪」を捩らせたようなロゴマークを使用している。 2003年度(平成15年度)より浦和レッズのオフィシャルスポンサーとなり、浦和レッズのグッズや焼酎「浦和の涙」の販売をしている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「与野フードセンター」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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